26歳、医療職の女性です。
特殊な職務環境のため、月残業について働き方改革の恩恵には与れません。家には眠りに帰るだけの毎日で、実家にいながら両親とまともに顔をあわせることもありませんでした。日も昇らないうちに家を出て、真夜中に帰宅して眠る日々。母とは多少会話がありましたが、もともと折り合いのよくなかった父とは本当に顔も合わせません。生前どんな表情をしていたのか思い出せないような有様です。
24歳の12月、突然職場に連絡が入りました。
実母からで、長患いの祖母がついに亡くなったかと思って受話器をとると、「お父さんが死んじゃったよ」とのことでした。
結論からすれば突発的な心疾患による突然死で、職場にて急に倒れ、そのまま亡くなったようです。詳細は分かりません。
ただ母は淡々と、「救命士さんに、蘇生したら帰ってくるんですか?って聞いたら、わからないって言われたの、だから、じゃあ、やめてください、って言ったんだよ」と、電話口の向こうで立ち尽くしている姿がまぶたに浮かびました。
「職場の人に事情を話してから帰る、すぐには無理」と答えて電話を切り、たまたま近くにいた上司に報告したところ、ありがたいことに今すぐに帰りなさいと指示をもらったことを妙にはっきりと覚えています。
急いで帰宅しましたが、検死の都合なのか、それともその他諸々手続き上の都合なのか、父も母もまだ家にはおらず、親類やきょうだいたちが泣いているだけ。
寒い夕方でした。
庭に差し込んだ日差しが本当に綺麗な橙色でした。
父が先に、葬儀会社の車から、ストレッチャーに乗って到着し、間も無く母が追いかけるようにして帰宅しました。
白い布を外して出てきた父の顔はプラスチックに似た、奇妙な質感の冷たい皮膚でした。あれは何色と言えばいいのかわかりません。2年経ってもまだわからないままです。
布を外した瞬間の、あのゾッとする感覚は、生涯忘れないでいたいと思います。
ああ、親は死ぬんだな、と。
年末の冷え込みで亡くなる人が多かったのか、しばらく日にちは空いたものの、葬儀はとりあえずは身内のみでひっそりと片付きました。
父はあまりものを多く持たない人でしたが、それでも遺品というのはそれなりに出てくるものだということを初めて知りました。何より、故人の部屋に立ち入ることに、あれほど勇気がいるということも、初めて知りました。
父はもしかしたら、何か病だったのかもしれません。
カーテンは執拗に画鋲で止められ、部屋は暗く、換気もあまりされていないのか、こもった匂いがしました。タバコのヤニが古い毛布に染み付いたせいなのか、それとも、埃の匂いだったのかわかりません。古い空気の匂いが部屋いっぱいに満ちており、まずは換気をしなければ、と窓を全て開けました。
きょうだいたちは父の部屋に入ることはできず、母のケアに当たらせ、忌引きの間に私が一人で担当しました。
部屋のこもった空気を吸った遺品など、ひとつも残しておきたくなくて、私はとにかく捨てました。片っ端から、目に入ったものはもう何もかも捨てました。カーテンも毛布も枕も、父の肩幅に合わせてのびた半纏も、まだ残っているタバコも、愛用していた灰皿も、もう憎いのか悲しいのか辛いのか、誰にあたればいいのか、わからないまま捨てました。
真冬だというのに汗をかき、窓を拭き、フローリングにワックスを塗り直す私は滑稽だったでしょう。
とにかく、何か思い出が私の心に蘇ることが嫌でした。
遺品は残さない。
全部捨ててしまわなくては。
疲れ果てて、ワックスの乾いた冷たい床に寝そべりました。フローリングは私の顔がぼんやりと写りこむほど清潔です。風は凍てついて、髪の毛の隙間に溜まった汗を静かに冷やし、グツグツと煮えたぎる感情も落ち着くような気がしました。そのまま、しばらく父のことを考えました。何度か思考の合間に、あのプラスチックじみた肌の感じが入り込みます。
ああ、お父さんは何を考えていたんだろうなあ。
帰ってきたら何を食べるつもりだったんだろうか。
炊飯器のお米は帰宅の時間にセットされていた。
冷蔵庫には鯵のお刺身があった。
日本酒もそう言えばあった。
のんびり晩酌するつもりだったのかも。
あの白いご飯はせっかくだし仏壇に備えたけど。
お刺身はやめておいた。
あの日、多分、声を聞いたのは私が最後だろう。
気をつけて行くんだぞ、と言っていた。
私は返事もしなかった。
頭の中は仕事のことでいっぱいで、まさか死ぬとは。
お父さん。
「ちくしょう!」とようやく声に出ましたが、出ただけでした。心配したきょうだいが様子を見にきて、空っぽになった部屋を見て愕然としていました。
ここまで捨てるか、と言われて、捨てられないでしょうおまえたちでは、と答えました。
今でも私は時流に逆行するような働き方をしています。すっかり片付けた父の部屋に私の荷物を全部移して。
全部片付けられてしまってつまらなくなったのか、父の夢は一度も見ていません。