福祉の仕事をしてもう10年経ちます。
福祉の仕事では、毎日と言っていいほど同じ空間がありません。
日々変化をして答えが無い状態で働いています。
現場では時に、出会いがあり別れも多い仕事です。
亡くなってしまう現場に立ち会う事もあります。
そうした時は、数か月はショックです。
ですが働いて年月が経つと次第に慣れてしまうものなのです。
ですから親が亡くなってしまう事に対しては抵抗なく受け入れることが出来ました。
なので日常は親が亡くなり早半年過ぎた今では気持ちが落ち着いている日々を過ごしています。
しかし遺品整理となると気持ちが入ってしまうのです。
懐かしい遺品を見た瞬間などにそれは起こるのです。
そうした時、手が止まり昔を思い出してしまう事があります。
時には捨てることをためらい捨てれない状態もあるほどです。
なので遺品の分別には時として感情が入り苦労してしまう事があります。
きっと落ち着いた気持ちとは逆に遺品を目にした時、親の愛情が蘇ってしまうからなのでしょう。
また大切なもの、そうでは無いもの、を見極めながら遺品整理をしているので時間もかかります。
しかし遺品整理にもこの頃は慣れて来ました。
それは気持ちのリセットをしたからです。
例えると実家に掃除に行くという感覚でとらえています。
ですから遺品整理に対しても抵抗がない状態です。
分別も早く出来ている今日この頃なのです。
私の親が他界したのは冬の事でした。
なので始めは部屋の気温も高くは無いので作業は楽だったのです。
しかし気温が上がるにつれて虫が発生したりするので困りました。
半年も遺品整理をしていますが虫の発生は結構ストレスになるので要注意です。
なので、夏場は作業がはかどらず手付かずの遺品があります。
また捨てれない遺品の中にはこんなものがります。
それは親が使っていた携帯です。
私なりにですが携帯はそのまま解約をしないで今でもある状態です。
それは、何時か携帯電話に連絡がきそうだからです。
心配性だった親でしたので今でも見守ってくれているのでは?と感じて解約はしていません。
また親の遺品には今でも悩むものがあるので、時には分別に一苦労をしています。
なので業者に頼もうと思いましたが、プライベートな事とあり自分自身で遺品整理を実行しています。
困る遺品の中には硯や文鎮、書道に使うものです。
また、譲ってもらったであろう本の数々。
この遺品は私には全く興味が無いので、親戚に譲っています。
その結果、書道関係の遺品に関しては半分減りました。
そうして残った分を私が今大切に保管をしている現状です。
また心配性な親だった為に、何処に何があるか解らないのも悩みます。
一番は、家族で写したアルバムです。
このアルバムは親の歴史、家族のありさまそのものなので捨てる事は出来ません。
またプライベートな写真とあり処分にも困るので探して見つけたのですが残念。
状態が悪くアルバムとしては見れない状態だったのです。
なので残念に思いましたが処分をしました。
このアルバムを生前親から譲って貰っていなかった事だけが今では後悔です。
思い出が溢れている写真は大切だと感じて今でも遺品整理をしている日々です。