今から10年前に親父がガンで亡くなりました。57歳で亡くなったのですが、若かったこともありガンの進行がとても早く、仕事を辞めて2か月で亡くなりました。
親父がガンになってから約2年ぐらい、親父が毎晩痛みで苦しんでいるのを見聞きする度、家庭内はだんだん暗くなっていきました。母と一緒に看病するも、ガンという病気に対して何もできず、できることは親父の食べたいものを作ってあげることぐらいでした。
親父は自分の死期を悟りだしたのか、だんだん感情的になり、家族との仲も悪くなっていきました。僕も若かったので喧嘩をしたり、口をきかなくなりました。
親父が死ぬ1日前、昏睡状態になり、翌日亡くなりました。悔しい思いが一気に高まり、もっと優しくしておけば、もっといろいろ話したかった、という後悔が生まれました。
それから10年経ち、親父の部屋もずっと手を付けずそのままでした。仕事で出張や晩年は単身赴任だったので、もしかすると親父が帰ってくるかもしれない、と思ったからです。
本が好きだったので、一冊一冊、親父がどんな本が好きだったか、そんなことを思いながら整理していると、昔家族で行った旅行の写真がたくさん出てきました。その数は500枚以上あったかと思います。一枚一枚、写真の裏にコメントが書いてあり、当時のことを思い出していました。そして一番最後の写真は僕が成人式の時の写真でした。「これからいろいろあると思うけど、幸せになってくれ!」という一言と日付が書いていました。その日付は親父が亡くなる1ヵ月前でした。
ガンと戦う中、親父なりに生き残された者のことを考えていたんだと思うと、涙が止まりませんでした。
1日で遺品整理を済ませようとしましたが、結局1ヵ月かかってしまいました。それほど親父のことが好きだったんだ、という思いと、これから僕自身もっとしっかりしようという気持ちになれました。
遺品整理は故人と会話をするようなものだと思いました。さっさと片づけず、故人がひとつひとつ関わってきたものに対して、何かを察してあげることが供養になるのかもしれません。