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33歳女 祖母の遺品は宝の山

33歳女・会社員です。

私が30歳の頃に祖母が他界し、その頃私はニートで暇をもてあましていたので、両親と3人で祖母の遺品整理をすることにしました。

祖母が亡くなってすぐに!ということではなく(祖母のことを思って)、1年ほど経ってからぼちぼちととりかかりました。

祖母とは別居しており、私たちの家から車で15分ほどの距離にあります。

祖母の家は築100年以上の古民家。

以前は茅葺屋根の一軒家でしたが、水害や時代に合わせて増改築を1度行っている家でした。

ここに、祖母は一人で暮らしており、独身時代からずっとこの家に住んでいたと思われます。

私は両親が共働きで、祖母に預けられており、とくに夏休みや冬休みなどの長期休みのときは、祖母の家に毎日きていて、いろんな話を聞かされていました。

祖母はお金が大好きで、パチンコが趣味でした。

また、炭鉱に勤めていたこともあり、そのときの蓄えをしっかりと残していることも教えてもらい、生前に祖母から「おばあちゃんがなくなったら、すぐ押入れに行くんだよ。

そこにおばあちゃんの全財産があるからね」と聞かされていました。

これは、両親たちが知らないことだったので、私はおばあちゃんから聞かされていたことを話して、整理をはじめました。

しかし、いくら一人暮らしとはいえ、ずっと住んでいた場所なために、モノがすごく多く短期間で終わる作業ではありませんでした。

自分たちの都合や時間もあるので、いけるときに祖母の家に行き、ちょこちょこできる分片付ける感じで進めていきました。

遺品整理って、大変そうで汚いイメージがありましたが、整理整頓が上手で、物を大切に使っていた祖母の遺品は、本当に綺麗に保たれており、整理しやすかったです。

食器なども、使っていないものや引出物でもらった箱に入れたままのものなどで、上等なものや使えそうなものは、遠慮なくいただきました。

おそらく、昭和や大正時代の骨董などもあり宝探ししているようで楽しかったです。

また、着物もとても綺麗な状態で保管されていたので、処分せずに古着屋さんか着物が好きな人に譲ろうとまだ保管したままです。

洋服も今でいうレトロなものが多く、古着が好きだった私は、アレンジして着れそうなものはいただきました。

家電も箱から出していないものなどもありました。

ただ、祖母がなくなってから3年ほど経ちますが未だに整理できていない箇所が1箇所あります。

倉庫です。

生前に祖母から倉庫には入っちゃいけないとか、ヘビが出ると聞いていたので近づけず、両親たちも倉庫にはものがありすぎて、開けるのが怖いと言っていました。

それに、倉庫には祖母の昔のアルバムや写真などがたくさんあり今まで過去のことをあまり話たがからなかった祖母の実態がわかるようで怖くなり、未だ開けないままです。

また、遺言のようなものはなかったですが、家系図なるものがでてきました。

いつの時代に書かれたものかはわかりませんが、手書きでかなり昔の代までの先祖が書かれており保管されていました。

その中には、炭鉱で働いていた証書なるものがあり、あとで調べると炭鉱で働いていた人は、申請すればすごく大きな補助?保険?をもらうことができるとかで、もちろん期限がありましたが、過ぎていたので申請できずでした。

最近は近所の人も遺品整理で空き家を訪れる人も増えており、一番大変だなと思ったのは本人が亡くなったあとに大事な書類がでてくることでした。

例えば、家の存続、土地の存続や後継者は、本人が生きているうちにしないと、手続きがとんでもなく面倒だそうです。

いま「終活」という言葉があるように、生前にものの整理や伝えておかなければならないことなどきちんと整理整頓しておくべきだと感じました。

30代、女性、親戚の遺品整理で気持ちの整理もした

ただいま、子育て中の40代の専業主婦です。

親戚の叔母が亡くなり、よくしてもらったこともあり、遺品整理のお手伝いにいきました。

私が30代の時のことでした。

まだ結婚もしていなくて、独身の頃のことです。

その時の心情としては、まだ亡くなっという実感が全く感じられませんでした。

持病があり、病院にも通っていたりとあまり体調が良くないこともしっていましたが、私の前ではとても元気に見えていました。

あまり人に心配をかけたくないという人だったので、
周りには気丈にふるまっていたのかもしれません。

実際亡くなってから、聞くと思っていた以上に調子が悪かったようでした。

そう言うことを聞くと、なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。

私が子どものころからいろいろとお世話になった方だったので、みんなで集まって昔話などを聞いていると、その時のことを思い出してしまって、なかなか片付けが進みませんでした。

前に知り合いが遺品整理したときに、思い出話が長くなったり、アルバムや、思い出の品などの話でなかなか遺品整理が進まなかったと聞いたことがありました。

本当にその通りだなと思ってしまいました。

昔の方だったので、物持ちがいいのと、かなりたくさんのいろんなものがあるんだなと感じました。

いろいろとみながら片付けを進めていくと、自分は子どものころからいろいろとよくしてもらったのに、自分は何も返せていなかったなと、すごく感じました。

そう考えると、後悔と言うかそう言う思いがすごく起こりました。

年々自分が年を取るごとに、やはり周りも年齢を重ねていきます。

そのため、お世話になった親戚や、祖母たちとも別れがくることもわかっていましたが、いざその時がくるととても切ないし、悲しいのです。

そして、そのたびに何も出来なかったなと感じることばかりです。

後悔ばかりで、悲しくなります。

でも、遺品整理をすることで亡くなった人をまたみんなで思い出せるのでそれもいい時間になったのかなと思います。

60歳代の男性であっというまに遺品整理はおわりました

横浜市に住んでいる60歳代の男性です。

3年前に亡くなった父親の遺品整理を行いました。

突然亡くなったので、最初に整理したのは背広と雑誌です。

棺に入れる副葬品を選ぶためですが、父親とは違う場所に住んでいたので、愛用品がよくわからず困りました。

会社員として72歳まで働いていたので、背広の中でお気に入りのものを選びました。

また毎年春、夏の甲子園にいっていたので、雑誌の中で甲子園を特集したものを選びました。

葬式が終わってから本格的に遺品整理に取り組みました。

母親は不要なものは地域のごみ集積場に出したいというので、衣類関係はほとんど捨てることにしました。

私とは洋服の好みが異なるので、形見としてもらうことはありませんでした。

次に本と雑誌ですが、亡くなる前に偶然たまっていた本を父親が整理して、押し入れの中にひもで縛っておいてありました。

そこで中古本に出しましたが、ほとんど値がつきませんでした。

机は事務用を使用していたので中を見ると、整理整頓されていました。

突然亡くなったので父親自身も知らなかったと思いますが、何か予感があったのかもしれません。

そこは今でも手付かずで残してあります。

父親と母親は一軒家の中で個室をお互いに持っていました。

特に父親は以前亡くなった祖母の部屋で暮らしていたので、台所や冷蔵庫をそのまま使用していました。

父親が亡くなったので、必要もなくなりましたが、母親はそのまま残しておきたいというので今でもおいてあります。

父親はもともと仕事人間で無趣味だったこともあり、ほとんど遺品は残っていませんでした。

時計や手帳、電卓など小物はありましたが捨てていません。

ベットは解体して、大型ごみとして廃却しています。

遺品整理は大変だといわれていますが、父親自身日頃から整理していたので、簡単でした。

机はそのままにしてあるので、今でもいつか帰ってきそうな雰囲気があります。

遺品整理としてかまえなくても、残すものは自然にわかるので、特に悩むことはないと思います。

36歳女 遺品整理に時間がかかったこと

私は30代の既婚女性です。

私自身は既に実家を出ているのですが、実家で暮らしていた祖母が亡くなった数年後に、実母を手伝う形で祖母の遺品整理をしました。

物持ちのいい祖母だったため遺品の量が多く、亡くなってしばらくは消耗品や食品以外は手を付けずにいました。

しかし、実家の両親が半年後にリフォームをすることにしたため、祖母の遺品も整理しようと言うことになりました。

母は思い切ってすべて捨ててしまおうと思っていたようですが、私自身がなるべく祖母の思い出深い物は残したかったため、一つ一つに目を通して何を残して何を処分するか決める作業は膨大になりました。

偶然その時期に、私が妊娠を機に仕事を辞めていたため、ゆっくりと時間をかけて作業することができました。

それでも、かなり骨の折れる作業で2カ月くらいかかりました。

一番困ったのは祖母の若い頃のスナップ写真で、かなり古い物なので残した方がいいだろうと思うものの、一緒に写っている人たちが一体誰なのか分からず、親戚の人に聞いてみてもわかる人がいませんでした。

祖母は既に高齢で、友人たちもなくなっている人が多かったため、結局どう言った写真なのか分からずじまいで、特別奇麗な感じの写真以外はほとんど処分することにしました。

昭和の時代を感じさせる可愛らしい小物や高価そうなアクセサリーなどは親戚たちで形見分けしましたが、家具などの大物は全て処分しました。

祖母が生きていたらどんどん捨てていいと言ってくれそうなものの、亡くなった後となってはどんな小さい物でも処分することは心苦しいものがありました。

祖母の遺品を整理しながら、母としみじみ話したことは、自分はあまり物を多く持ちすぎないようにして、もしも早くに亡くなった時遺族が整理に困らないようにしたいと言うことと、何を残してほしいかメモでもいいから家族に残した方がいいと言うことです。

祖母の遺品整理をして自分の先々のことも考えさせられる経験をしました。

50代男 家族全員の遺品整理

50代男 家族全員の遺品の整理をしました。

20代で母親、30代で父親、40代で姉を亡くし学生の頃亡くなった祖母の遺品も整理しました。

10年ほど前の話です。

結婚後私は実家には住んでいませんでしたので父母と姉が住んでいました。

もともと物を溜め込む癖がある家族でしたので祖母の遺品も母がなかなか整理できずそのままでした。

母は急死したのですが、家庭の事は全て母親に任せていたので何がどこにあるのかもわからないしまつ。

遺品の整理すらままならない状態でした。

しばらくは姉と父が二人で住んでいたので、その時にある程度は整理したのですが、祖母の部屋はそのままで、遺品も全て祖母の部屋に置いていました。

父が亡くなり父親は趣味で船に乗っていたので船の道具が家にもあり普通に粗大ごみにも出せないくらい大きいものもあったので更に処分に困りました。

そうしているうちに姉も病気で亡くなり姉の遺品も整理することになりました。

すぐに手伝いに来てもらえるような親戚もいなかったので私と妻で遺品を少しづつ整理していこうとしたのですが、そのころには六畳二間の部屋に収まりきらない程のものがたまってしまいました。

当時は遺品整理の業者がそんなに沢山いなかったし、情報もなかったのでしばらくほったらかしの状態になってました。

人が住まなくなった家はだんだんと痛みはじめ、親戚やご近所からも心配する声が上がっていました。

遺品の整理はしたいが、時間と人手が足りない。

二人でコツコツやっていたら何年かかるかわからない。

親戚やご近所の苦情きになって実家に行くのもなんだか後ろめたく感じていた時期もありました。

しばらくすると遺品整理の業者もネットでチラホラ見るようになり実家のリフォームも考えていたので業者にすべて一任しました。

最初は1カ月ほどで終わると説明を受けたのですが結局いろいろ理由をつけられて3ヶ月ぐらいかかりました。

遺品は残すものは残し、あとは全部買い取ってもらいました。

業者もよく調べてから発注したほうがいいと実感しました。

このことをふまえ
亡くなってからは法事の準備やらでとにかく忙しいので遺品の整理はどうしても後回しになってしまいます。

自分は子供たちのためにも亡くなる前にしっかりと遺品は整理していきたいと思いました。

50代女性一段落前の遺品整理

はじめまして。

一度も実家を出た事のない一人っ子50代女性です。

親が亡くなる前、親が死んだ後は普通の精神状態で生きていけないと思うほど、親依存の私でしたが、いざ亡くなってみると、一連の儀式、手続等を済ませるのに必死で、クヨクヨ悩んでる時間は思ったより少なく、お陰で思っていたほど落ち込む事はありませんでした。

この勢いで遺品も片付けようと、早い時期に一気に遺品整理しました。

亡くなった直後は、親戚や友人、近所の方等、色んな人に心配され励まされ、人情に包まれた暖かい気持ちで暮らせるものです。

が一段落した頃にはそれもなくなり、どれほどの孤独感、喪失感に襲われるのか。

それが怖かったせいもあります。

幸い、物に執着しない家庭だった(こだわりの物、高級な物がない)ので、あまり躊躇せずに処分できたのは有難かったです。

が長年住み続けた家、処分しても処分しても次から次へと出てきます。

どこにこんなに物があったのか、というほど。

かれこれ5年になりますが、未だに少しづつ処分しています。

予想通り、時が経ってからの遺品整理はかえって辛かったりします。

整理しているとずっと忘れていた昔々の事を思い出したり、そこから親の気持ちに気づかされたり。

母のコート等を見ていると一緒に出掛けた時の事を思い出して胸が締め付けられます。

認知症初期の頃、本人が嫌がるのを無理やり病院に連れて行っていました。

車から病院まで少し歩かなければならない所で、歩くのが辛そうだったのに。

火葬後の痩せ細った小さい骨を見て、歩くのがどれほど大変だったのか、わかってあげられなかった自分を悔いました。

未だに困っているのが食器類です。

昔は結婚式の引き出物に食器が流行っていましたので、昔の食器類が大量に残っています。

親が生きている頃はお客も多く、来客の際使うつもりで大事にとっていました。

今となっては一人暮らしで使う食器はわずか。

親がいないとお客も減り、5点セット等何の役にもたちません。

リサイクルショップに持っていくにも押入れの奥から重い食器を取り出して持ち出すまでの作業を考えるとおっくうになり、つい後回しにしています。

出張買取もあるようですが、わざわざ業者に来てもらう程良い物でもなく、、と思うと気が引けます。

自分がいなくなった時の事もそろそろ考えておいた方が良いかと思うこの頃、だんだん気持ちが焦ってきています。

50歳女 父の遺品整理は早すぎたかもしれない

自営業をしている女性です。

父が亡くなった後に遺品整理をしました。

本が好きだった父なので、部屋中に本がたくさん積んであり、本棚にもたくさん並んでいました。

本当に不思議な感覚を感じながら、本の整理をしました。

まるですぐそばに本人がいるかのように感じましたし、亡くなって2週間もたたないぐらいのときだったので、まだ家族の心の整理ができていなかったということもありました。

何故このタイミングで本を整理したのか、何となくのつもりだったのですが、まだ本には父のぬくもりがあるように感じました。

さすがに父から「これは捨てないでくれよ」と言われている気がしました。

部屋にあった本の山がつい目についたこともあり、私は母と整理をしたのですが、同時に何だか本人に申し訳ない気分にもなりました。

愛着のあった本もあっただろうに、本が大好きだった父の所持品だったこともあり、何だかこんなふうにさっさと処分をしてしまっていいのだろうか?と胸が痛くなりました。

あとは杖や時計、眼鏡、下着、服、布団やベッド、うちわ、昔のレコードやCD、カセットテープ、ビデオテープやテレビのリモコン、耳かき、写真、えんぴつやボールペン、ティッシュの箱など、も遺品整理をしたのですがこんなふうにすぐに整理してしまっていいのかどうか悩みました。

実はいまだに処分できていないものも多いんです。

想い出がたくさん詰まった遺品を整理するのは、何となく気が引けるもの。

それでもいつかは整理をしなければならないんですよね。

ちなみにはじめ処分をした父の本ですが、あるリサイクルショップの本屋さんに査定をしていただいたら、何と500円にもなりませんでした。

理由は古すぎたことと、シミやほこりも多かったため。

結局それで引き取ってもらったのですが、本当だったらもう少し本も処分をせずに、時間をおいて取っておいてあげた方がよかったのかなと後悔もしました。

『想い出は胸の中に』とは言いますが、遺品を整理するにはまだ少しだけ早すぎたのかもしれません。

父も「早すぎたよ~」と天国で突っ込みを入れていたかもしれないなと思います。

皆さんも遺品整理は、心の整理が十分できてから行われた方がいいかと思います。

31歳男性、祖父の家、土地、家財、思い出の全てを整理した体験談

人生で始めて遺品整理をやった体験談を書きたいと思います。

私は、31歳の男です。

ファイナンシャルプランナーをやっていて、相続などの相談も受けていますが、自分が遺品整理をやるとは、思っていませんでした。

遺品整理した相手(故人)は、私の祖父にあたります。

整理した遺品ですが、家屋、土地、家財の全てです。

なぜ、孫が遺品整理しているのかと疑問に持つ方がいると思います。

これには、世間でよくいう骨肉の争いというものがあったからです。

祖父の家は、かなり大きい家でやはりお金もたくさん持っていた人です。

孫が8人もいるのに私も子供の頃は、行く度にお小遣いを貰ったものです。

話が逸れましたが祖父の子供は、私の母親を含め3人います。

1番上が男、2番目が女、3番目が女(母親)の順です。

若い頃は、3家族で遊びに行ったりしていたので仲がよかった印象があります。

それが介護の問題、同居の問題が出始めてから長男と下の2人の折り合いが悪くなりはじめました。

財産やら介護やら、様々な事情で長男とは絶縁状態になり、その最中に祖父は亡くなりました。

様々な事情がある中での遺品整理は、何から手をつけていいかわからない状態で人手が足りないかつ、ファイナンシャルプランナーの私なら少しは知識があるということで遺品整理に携わりました。

財産は、祖母が施設に入っているので全て祖母の施設代にしました。

誰もいなくなった家は、なんだか寂しく見えました。

ゴールデンウィークには、親族でバーベキュー大会、正月には新年会。

時がたつにつれ、孫が増え、そして曾孫が増え、一時期には30人近くでワイワイガヤガヤ楽しんだものです。

笑い声が響きわたっていた家には、もう誰もいません。

もし、親族が全員仲がよかったらこの遺品整理もガヤガヤできたのかな、そっちの方がこの家の最後には似合ってるんじゃないか、家の中は写真でいっぱいでした。

ついつい、センチメンタルな気分になりましたね。

思い出の場所が静かになくなっていくのは、なんとも言えない感情ですね。

これから遺品整理する方は、是非自分の手でやりましょう。

故人が何を大切にしてきたのかがわかります。

私は、ある程度、自分の手でやりましたが、最後は業者に頼み、全て捨ててしまいました。

今思えば思い出となるものを取っておけばよかった感じます。

そして、親族同士の争いは極力ないほうがいいです。

50代男性 父の遺品から個人情報が出て来て仰天

私は50歳代前半の男性です。

昨年(2018年)、90歳近い高齢で父が亡くなりました。

母が健在ということもあり、遺品というのは着ていた服、それにあまり広くない書斎に積まれている本、雑誌、書類などでした。

服は母が少しずつ処分しています。

私が本好きということもあり、本その他の担当になりました。

私は文系ですが、父は医者でした。

医学関係の専門誌が昭和30年代後期のものからあって、父は「これは高く売れるぞ」と言っていました。

前に私の本を引き取ってもらった良心的な古本屋さんがあるので、そちらに来ていただきました。

「今はこういう雑誌、みんなデータ化されているので、なかなか売れないんですよ」と古本屋さん。

それでも「お父さんの遺品ですから、なんとか生かせるように努力しますね」と雑誌から本まで全部持って行ってくださいました。

1万5千円ほどいただきました。

父はもう一桁多い金額を想像していたんじゃないかと思います。

さてこうして本屋や雑誌は片付きました。

残ったのは書類やメモの類。

父の若いころの写真や親戚が結婚したときの記念写真、大学の同級会のスナップ……そういうものは見ていても心が温まります。

どうでもいい領収書なども取ってあって、しかしそんなものはまだいいのです。

信じられなかったのは昭和40年代の患者さんのカルテの綴ったものがけっこう出てきたこと。

「何を考えているんだ! こういうものを家に持って来たらだめだろう。

いや、持ってきてもいいけれど、あの世に行く前に自分でちゃんと処分をしておけよ!」書斎を片付けながら、私は思わず一人で大声を出しそうになりました。

いや、あの世に文句をいいに行きたいくらいの気分になりました。

まだ、個人情報の保護なんて意識はなかった時代だったのでしょうか。

結局、そのカルテ類はまだ処分できていません。

シュレッダーを借りてくるのも大変だし、結局機密書類の処分を請け負っている業者さんに頼むしかないのかなと思っています。

終活なんてことばが流行る昨今ですが、ほんとに身の回りはちゃんと片づけておかないと、後に残った遺族が大変なんだなと実感しました。

55歳 男性 業者として家族と連絡を取りながら遺品整理をした

私は横浜市で、ハウスクリーニングと住宅のリフォーム業を行ってました。

その関係で遺品整理の仕事も受注してました。

2000年から2009年までの事です。

警察や不動産業者を通しての依頼が多かったです。

初めは戸惑いました。

何をどうすればいいのか全く手探り状態でした。

とにかく、ご依頼主様である遺族の方からの要望を聞くことに専念しようとしました。

しかし、私の率直な感想はあっけないんだなと言うことです。

特にお願いする事はない。

ただ、綺麗にして物件を不動産屋へ返してもらえればいい。

横浜という土地柄、地方に家族がいる方が多かったです。

しかも、家族と疎遠な方が多かった。

寂しい気持ちになりましたが、これが現実化と受け止めるしかなかったです。

ただ、私としては亡くなった方が亡くなるまで大切にしていたものをただのごみのように扱うのは嫌でした。

やはり、真摯に向き合いました。

例えば、本や雑誌の中身は読まないけれど何かが挟まっているかもしれないと丁寧に確認しました。

完全なるゴミ、写真や現金、使わないだろうけど形見となるようなものに分けました。

ほとんどの方はゴミ以外の物は10㎏の段ボール箱1つ分程度でした。

ご依頼主様が要らないと言っても送りました。

全てを見る訳ですから、亡くなった方の趣味なども見えてきます。

経済新聞を切り抜きしてる方、赤鉛筆で記入された競馬新聞を綺麗に畳んでおいてある方、几帳面だっただろう方、掃除は苦手だったんだろうと思われる方、現金なども出てきます。

小銭から一万円札まで色々と。

少しづつ貯金してたんだなとか。

なにかあった時の為のお金だったんだろうな。

想像が出来ます。

こんな形でも(本人とも家族とも縁がない)、やはり人とのお別れです。

入室前作業終了後にはスタッフ全員で合掌しご冥福を祈りました。

殆どの場合、室内は3人で1日で終わります。

ゴミはトラックに積載し産廃業者へ搬入します。

その後は、改めて次の入居者へ貸せるようにリフォームします。

32歳女・服を父に譲ったりした

私は私の祖父が亡くなったときの遺品整理を親と一緒にしたことがあります。

私は祖父と一緒に住んでいたためにお葬式を終えた後の遺品整理は家族みんなで行いました。

私の祖父はなくなるまでにあっという間だったのですが遺品がたくさん残ってしまい色々と大変でした。

まず祖父の着なくなった服は父がまだ着られるのであれば父が来ました。

例えば背広とかです。

それから祖父が寝ていた寝室は洋服であふれていたりつかわなくなった時計などであふれていたためにそれらはすべて処分しました。

処分したといってもなかなか捨てられませんから、棺桶の中に入れたものもありました。

最終的にまだ捨てられないというものは形見として残っています。

その時の気持ちは辛い悲しい気持ちで一っ杯というか、家族みんなが悲しみで毎日を過ごしていて食事が喉を通らなかったのを覚えています。

後悔していることは特にないのですが、「あ、棺桶の中にこれを入れればよかった」という遺品があとから出てくることもありました。

ですので遺品整理というものはとても大変で辛いことだと思います。

見ている人にアドバイスするのであればある程度自分の力で生活が出来なくなってしまうようになったら覚悟を決めて整頓していくことが良いかと思いました。

あとからだと体力や精神的にもあまり片付けしようという気持ちが早々すぐにはならないと思います。

まだ自分が片づけられるなという時に自分が動けるときに動いていた方があとあと良いかと思います。

私はこのことを祖父が亡くなってから身に染みて感じたので気力というものは自分の頭の中で変わるものなのだなという事をものすごく感じました。

これから遺品整理をするのであれば亡くなった後のことを考えていく必要があるかと思います。

私は、遺品整理をするたびに祖父のことを思い出して涙が止まりませんでした。

もうあんな気持ちになりたくないと思いましたし、辛かったことを覚えています。

37歳差女性、祖母の遺品整理をしました

私には、大好きでたまらなかった祖母がいました。

一緒には暮らしてはいませんでしたが、毎日のように電話をし、なにも予定のない日には、よく、遊びに行ったり、泊まりに行ったり、ご飯を食べに行ったり、旅行に行ったりして、本当に仲良く、楽しく過ごしていました。

祖母は、孫が10人いたのですが、初孫である私のことを、一番可愛がってくれ、祖母の友達にも、私のことを、昔から、色々話してくれたり、合わせてくれたりして、祖母の愛を常に感じる毎日でした。

ある時、今日もいつものように、祖母のご飯を食べに行こう、と、美味しく楽しく食事をし、いつものようにたわいのない話もし、最後にこれまたいつものように、食後のお茶まで頂き、来週は美味しいものでも食べに行こう、と約束をして、別れました。

その二日後、祖母が天に召された、との連絡が入りました。

私は絶対に信じられなかったし、信じたくもない気持ちでいっぱいでした。

祖母の家に行くと、その日まで使っていた物だけが、生きているような気がしました。

永遠の眠りについた祖母と、その周りの物を見ながら、なんとも言えない気持ちでいっぱいでした。

葬儀など色々なことが、次々と終わって行きました。

数日後からは、祖母の遺品整理を始めました。

母や叔母などと一緒に整理をしたのですが、やはり、生前祖母は、私と一番仲が良く、私にはすべてのことを語ってくれていたような人だったので、この遺品は、こうして欲しい、この遺品はあの人にあげて欲しい、など、私がすべて指導した形になりました。

祖母が生前から、よく言っていたし、もしおばあちゃんがあの世に行ったら、これはあなたが持って行きなさいね、とかいう話を良くしていたからです。

また、食器や衣類など、生活用品がたくさん出てきて、整理をするどころか、思い出話に花が咲いたり、涙でいっぱいになったりして、なかなか作業が進まないこともたくさんありましたが、遺品整理をする人が割とたくさんいたので、思った以上には、片付けも早く終わりました。

当時40歳 母親の遺品整理の辛さと感謝

こんにちは、自分の経験は母親です。

 私は8年間ほど母親の介護をしておりました。

仕事が終わるとほぼ毎日母親の家により、顔を見せます。

8年間もづづけていると日課になり、亡くなってもついつい寄ろうとしてしまいます。

 病院で亡くなり、その後母が住んでいたマンションを片付けなくてはならないので、仕事終わりに、母親のいなくなった部屋を何日間か通いました。

 家電は業者さんに査定してもらい、何千円か頂きました。

洋服などはお金にならない。

一番かたずけをしていて胸が絞めつけられるは写真でした。

家族の写真、母の若い時の写真、自分を含めて子供と戯れる母の写真は40過ぎの私でも目頭が熱くなり、胸が絞めつけられるようでした。

 少しづづ片付けながら、自分の場合は後悔がよぎります、こうすればよかった、ああすればよかった、もっと色々出来たような…
残念な気持ちが強かった。

一人暮らしから病院へ、最後は夜中に病院で亡くなっていた。

孤独だったよな、一緒に住めていれば、自分が情けなく、辛い。

母親の被っていた帽子が自分にはなんか物悲しい。

 だけど一つ一つビニール袋に入れて片付ける。

こんなの着てたな、こんなの持ってたかな?淡々とやるしかない。

 仕事中に何度も電話をよこして、自分は面倒でもう嫌になって、怒鳴ってしまったこと、申し訳ないことばかりが頭によぎる。

今思えば、帰りによって愚痴をはいていたこともあった。

面倒だと思いつつも本当は自分に必要な時間だったかもしれない大事な時間だったような気がします。

そんなことがわかるのはそれから何年も後のこと。

「仕事に負けるなあ」と小さな声で母親が、私に声をかけた言葉が今でも忘れられない。

自分の愚痴を聞いてくれて励ましてくれたんです、自分が面倒を見ているつもりでしたが実は自分も見てもらっていたのではないか?年々それに気づく。

片づけが終わった部屋は綺麗でした、何もない。

 もうここへは来ることもない、軽く会釈して部屋を出た。

 片づけが終わりホッとした気持ちと、寂しさと複雑な気持ちで、これからもう来る必要のない部屋のドアを閉めました。

 
 
 
 

45歳男性 父の仕事場整理で悪徳業者に騙されました

45歳男性です。

私の父が亡くなったときのお話しをさせていただきます。

5年前の話になります。

その頃祖母、父と二人が同時期に脳梗塞で特別養護老人ホームに入って貰っていました。

ご自宅で介護されている方からすれば、その負担は無いと言っていい程だと思うのですが、母も身体が元々弱く、自分一人で成し遂げなくてはならず、プレッシャーはかなりかかっておりました。

夜勤をしておりまして、夜勤前、夜勤後に顔を出して洗濯物を替えたり、先生と今後の打ち合わせをしたり、父は話が出来ない程だったのですが、祖母はまだ軽度だったのでお相手をしたり…

母も身体が弱いので、少し寝て病院や整骨院に連れて行ったり、日々の買い物に付き合ったり…

そんな状況だったので、バツイチな私は再婚の機会も逃しました。

日々会社と病院やホームを回り、家事も手伝いもして疲れていましたが、何とかみんなが笑顔でいれたら、と頑張っておりました。

そんな毎日で、自分も疲れが慢性化し、先の事を考える余裕がありませんでした。

いや、最悪の事態の事は考えない様にしていたんですね。

亡くなった時の事を考えることから逃げていました。

父が好きだった力道山の写真をアレンジしたリハビリ用の五十音表を作ったり、ノートパソコンでYouTubeで力道山のプロレスの試合を見せたりして、気を紛らわして、逃げていました。

皆さん、遺品整理の業者やお葬式をどこでするかなどは、事前によく調べて決めておくことをお勧めします。

何も考えず、逃げてばかりいた大馬鹿者の私の場合、お葬式会場さえも決めておらず、父の亡骸を横にパニック状態で非常に焦りながら葬儀会社を探し始めました。

母も力無くベットの父の名前が書いた名札をなぞっていたり、精神状態が不安定な状態でした。

お葬式のお話は今回は趣旨に合わないので、割愛させていただきますね。

さて問題は父の仕事場です。

詳しい場所は伏せますが、市内に事務所を構えておりましたので、引き払わなければなりません。

前述した通り、お葬式の事も考えていなかった私ですので、ご想像通り非常に困り果てました。

ネットで調べても何を決め手にして良いのか分からず、どこも胡散臭い様な気がしてきます。

結局は自宅のポストに入ってあったチラシの業者さんに頼みました。

これも何かの縁ではないか、くらいの軽い気持ちで電話してしまいました。

父の訃報を、仲の良かった祖母に伝えるべきか、知ってしまったら祖母も気を落として体調を崩してしまわないか…
などお葬式が終わってからも、何かと問題は山積みな私は、信頼のおける業者かどうかも調べず、決めてしまいました。

又考える事から逃げてしまった事を後悔しております。

1週間程した頃、事務所の大家さんから電話がかかってきました。

「部屋の片付けはどうしますか?」

目の前が真っ暗になりました。

事の経緯を説明して、私からも勿論ですが、大家さんからもその業者に連絡をする運びとなりました。

しかし事すでに遅く、連絡はつきませんでした。

よく見ると領収書に収入印紙も貼っていません。

30万円騙されました。

怒りはおきませんでした。

悲しさだけが降り積もり、どんどんと重くなり、自分を責めました。

警察にも被害届を出しましたが、未だに解決のめどは立っておりません。

結局は大家さんの紹介の業者さんに頼み、さらに30万円程支払う羽目になりました。

遺品整理を業者さんに頼む時は、誰かの紹介が1番です。

お勤めの会社の方や、ご友人、親戚、地域の方、恥を忍んで相談されることをお勧めします。

私の様な方は中々居ないと思いますが、辛い中でしょうが、事前事前の準備をして下さい。

これをご覧の方には、私の二の舞を踏んで欲しくはありません。

優しい気持ちで故人を見送りたいですからね。

では長々と失礼いたしました。

31歳女性 余命宣告された父、生前から家の片付けをしていきました

 父を亡くした時の話です。

 私は父と弟の3人家族でした。

母は子供の頃に離婚をしていたので今、連絡を取ったり会っているということもなく、全く関わりがありません。

5 年前、父が癌だと診断されそこから闘病生活が始まりました。

2年、3年と経っていくうちに症状がよくなることはなく、今年の春に亡くなりました。

 半年前から覚悟はしていたので、インターネットで相続のことや今後どのようにしていけばよいかを調べていくうちに、「遺品の整理・家の片付けはしていった方がよい」とアドバイスが書かれてありました。

 「亡くなってもいないのに・・・」とさみしい気持ちが9割。

私より早く動いたのは弟でした。

その弟の姿をみると「しなくては」と割り切ってできることから家の片付けを始めました。

 私の家は一戸建てで、祖父母の時代に農業をしていたので納屋や倉庫、古い家など、敷地の中に建物が複数あり、捨てきれなかった昔の食器や着物、服、農機具などたくさんのもので溢れていました。

まずは父の身辺より家の片付けを始めました。

時間のあるときにしていたのですが、すごい量のものでした。

そうこうしているうちに父が亡くなってしまいました。

遺族も慌ただしい日々がしばらく続き、数日で落ち着くということはありませんでした。

そして、亡くなる前は予想もしていなかったのですが、なにかと家に来客があります。

近所の人、自治会の人、お寺さんに葬儀会社の人など、亡くなってからしばらくは来客の対応にも追われます。

庭の草刈り、木の剪定なども1ヶ月以内に済ませておきました。

 気持ちはもちろん追いついていませんでした。

しかしこの点では「家の片付けは早くからしていた方がいい」ということが身にしみて分りました。

 父も長くは生きられないということを自身で分かっていたので、通帳や家の権利証や登記登録証、印鑑などの重要書類は一纏めにしてくれていたのでとても助かりました。

 身辺が落ち着いたころ、家の片付けと合わせて父の遺品整理も始まりました。

 父は本をたくさん読む人だったので、本の量が多かったです。

捨てなければならないのですが、今までずっとあったものを捨てるというのはやはり大変なことなのだと痛感しました。

「残して置きたい」という気持ちと「片付けなければ」という気持ち。

そして「捨ててしまう=父の存在が亡くなってしまう」という気持ちが交差していました。

 父が亡くなる前から始めた家の片付けと遺品整理。

最終的にかかった時間は3ヶ月ほどでした。

 死は誰もに平等に訪れてその日が明日になるか1年、2年後になるかは分りません。

私の父は余命宣告されていたので私を含め遺族の心の準備もできていました。

葬儀の前後は慌ただしく、落ち着く間もないです。

つらく、さみしい気持ちになりますが生前から「本人の部屋以外のもので、捨てることのできる家にあるもの」は捨てていき、家の片付けをしておく。

そうすることによって、家のことは気にせず葬儀の時に父との最期の時間を過ごすことができました。

 

41歳男、父との思い出の遺品整理でした!

私は自営業を営んでいる40代前半男性です。

自営業とは言っても、親からの後継ぎと言うことで、これまでやってきました。

今では私も結婚もし子供にも恵まれ幸せにくらしていました。

そんなある日、私の父が突然と倒れたのです。

死因は心筋梗塞でした。

以前から、父は良く夏場でも風邪を引くようになり体力が大夫低下していたのです。

ですので、医者からも重々体には気を付けてくださいと言われていました。

通院はしつつ、時には入院なども繰り返ししていました。

日頃から薬も飲みながら生活していたので少しは安心かなっとも思っていました。

その為、私も母もそして、妻も必要以上に心配せずに仕事や生活をしていました。

ところが、やはり突然と父は逝ってしまったのです。

そして、私達残った家族は葬儀を行い、みんなで手をあて供養をしたのです。

無事、葬儀も終わり残った遺族で父の遺品整理を始めたのでした。

父は元々、ゴルフが好きでいくつかゴルフセットや玉を置いたままでした。

私は残念ながらゴルフはしないのですが、父の思い出と形見と思い、私はゴルフセットや玉を遺品として譲り受けたのです。

勿論、母は父との思い出の品を遺品として大切に保管するとのことでした。

また、妻や私の子供たちにも父の残した遺品をいくつか貰っていました。

そして、遺品整理も終わった頃私達は本当に父との別れを感じ、私達家族だけで食事をしました。

そこには父の遺影を飾りながら、みんなでひとつのテーブルに集まり食事をしたのです。

少し、暗い気もしましたが、これが最初で最後の光景だと思い、みんなで特に会話は無かったのですが食事をしたのです。

そして、しばらくしてまた実家に家族で遊びに行った時には、母だけが一人寂しくいたのですが、そこにはしっかりと父の写真が飾られていました。

また、父が残した遺品をそっと母の机の上に置かれていたのでした。

私はそれを見てまた涙がこぼれて来たのを今でも覚えています。

52歳女、叔母の遺品整理を休みの日に行った

一人暮らしの叔母が、亡くなった時に初めて遺品整理を行いました。

私は結婚して、近くに住んでいたので叔母とはずっと交流がありました。

叔母は、叔父に先立たれて一人暮らしをしていました。

亡くなる直前は、病院に入院していたので、叔母が亡くなった後の家は叔母が生きていると同じで今にも叔母が現れそうな気がしました。

しかし、叔母が住んでいた家は借地に建てられたものでその土地を返さなければならず、期限があり干渉に浸っている暇もありませんでした。

子供がいなかったので、親族で遺品整理をすることになりましたが、叔母の写真などが出て来るたびに思い出話になってしまいなかなか進みませんでした。

しかも、家の中を空っぽにしなければいけないので親族が引き取らない物は捨てなければいけませんでした。

叔母の遺品を捨てなければいけないのは、心が痛み気がしましたがどうすることも出来ませんでした。

捨てる物は、自治体のルールにしたがって捨てれるようにしなければいけないので分解しなければいけない物も多くあり分解も苦労しました。

ちょうど季節が、夏の暑い時期ですでに電気が止められていたのでエアコンも付けることが出来ずその作業はかなり辛いものになりました。

叔母は、写真を多く保管しており親族もそんなに多くの写真は持って帰れないので写真もある程度処分するしかありませんでした。

しかし、写真を捨てるのは何だか他の物を捨てるより重たい気持ちになってしまいました。

今、思えばもう少し多くの写真を残しておいておけばよかったと後悔している部分もあります。

親族も私も、仕事が休みの日にしか遺品整理をすることが出来ないにも関わらず家を明け渡す期限がありゆっくり遺品を整理している時間がありませんでした。

気持ちもゆとりもなかったせいか、叔母の遺品は多くの物を捨てるしかありませんでした。

今思えば、もう少し気持ちにゆとりを持って遺品整理をしたかったと思います。

これから遺品整理をするという人は、後で後悔しないような遺品整理をして下さい。

61歳女 業者に依頼して遺品整理

私は61歳女性です。

夫を3年前に脳出血で亡くし、現在は息子夫婦と孫と同居しています。

現在の家は息子夫婦と一緒に住めるように1年前に建て替えたのですが、その時に夫と一緒に住んでいた家を取り壊しました。

家を取り壊す前に夫の遺品整理をしたのですが、夫の死から1年半程経過していたにも関わらず、あまり遺品整理ができていない状況でした。

なんだか夫との思い出が詰まっている遺品をなかなか捨てることができず、そのまま持っていたのです。

自分で遺品整理をしているとなかなか捨てられないと思い、思い切って業者に片づけを依頼しました。

その業者はトラック一台でゴミを持って帰れるだけ持って帰ってくれるという業者でした。

夫の服、アルバム、財布、靴など様々なものを持って帰ってもらいました。

私は遺品整理を業者に頼んでよかったと思います。

その理由としてまず遺品整理に夫への感情が入らないからです。

全て業者の方に任せたので、私では思い入れがあって捨てられないものも捨ててくれました。

実際のところ、私が残しておいた方がいいかもと思っていたものは大半はいらないものでした。

それはなぜかというと夫が死んでからほとんど夫の遺品に触れることはなかったからです。

1年半も放置するものに必要なものはないと思うので捨てて頂いて気持ちはすっきりしました。

また、新しい家に古いものを持ち込みたくなかったのでよかったと思います。

新しい家に古いものを置いておくのはなんだか汚いですし、せっかく家も一新するのだから、物も一新しないとという風に後々思いました。

現在、私はありがたいことに息子夫婦と孫たちと一緒に暮らすことができています。

夫が亡くなったことはもちろんさみしいことで今でもその死を受け入れられているのかというと微妙なところなのですが、夫の遺品を処分して、息子夫婦と孫たちと新たに思い出を作っていこうという前向きな気持ちになれた気がします。

もし、これから遺品整理をしようという方がいらっしゃったら、自分でやると感情が入って捨てるべきものを捨てられなくなってしまうので、本当に必要なものだけをキープして、あとは業者に依頼して捨ててもらうことをおすすめします。

59歳男 大切な想い出は次の人の手に

50代後半の男性です。

一人親の母親が亡くなり、実家に残された遺品について、何をその時考え遺品整理をしたかを書いてみたいと思います。

亡くなる前は、親が病気で不自由になったこともあって、それまで東京で暮らしていたのですが実家に帰ることになり、世間で言う介護をしていました。

母は約2年間の自宅介護の後に病院で亡くなったのですが、本人は死期が迫っていることは自覚していたようで、最後の頃は不自由な身体でも起きてきて、一生懸命に身の周りの整理をしていました。

「これもいらないかなぁ」と、まるで昔の想い出を懐かしむように一つ一つの物をゴミ袋に入れていく時のその姿は、眺めているこちらも心が辛くなりました。

だって母にとっては大切な物だったからこそ、今まで大切に手元に置いていたのですからね。

それを捨てるという行為がどれほど辛いものか。

たぶん自分に負担をかけないための心遣いだったと思います。

そうして少しづつやってはいたものの遺品を全部整理しきれるわけはなく、それらの大切な想い出を残したままに母は亡くなりました。

そしてひと通りの葬儀が終わり、49日も過ぎ、哀しみも少し癒えた頃からようやく母の遺品整理に取りかかりました。

母の遺品の主なものとしては、母の着ていた洋服、着物、アクセサリー。

それらを入れる古い年代物の箪笥が数個。

そして書道を趣味にしていましたので、たくさんの書道の掛け軸やガラス額に入った書。

また洋服は、母が文化服装学院出身なこともあって、変わったものがたくさんありました。

そして最大の遺品が、実家の建物と土地。

結局自分の心情や将来のこともあって、田舎に住み続けるより都会にまた戻った方が良いと考え、実家と共にそれらの遺品も処理することを決心しました。

処理するに当たって考えたことは、ただ捨てるのではなくて、もし誰かに使ってもらえるのなら使ってもらいたいということ。

捨てるのは余りにももったいないですし、買取屋さんに持っていけば二束三文。

幸いそのとき時間はたっぷりとありましたから、そうであればヤフオクで売った方がよいのではないかと考え、箪笥も含めた全ての遺品をヤフオクで売りました。

もちろん母が本当に大切にしていたもの、自分が母との想い出として取っておきたいものは、もちろん手元に残しました。

どのくらいかかったでしょうか?全部ヤフオクで売り切るのに。

たぶん半年はかかったと思います。

もちろんそれでも完全ではありません。

売れ残ったものもあります。

そういうものは小さいものは引っ越しの際に持ってきていて未だに持っていますし、大きなものはゴミとして処分してきました。

母が好きだった洋服や着物や書の類もやっぱりどうしても処分しきれず、なるべく親戚の人に受け取ってもらえるものは受け取ってもらって、それ以外は全て持ってきています。

家と土地の方は幸い立地の良い場所にあったこともあって、価格を下げたらすぐに売れました。

買う側からみればお得な物件だったと思います。

若いご夫婦が買ってくださってとても嬉しかった。

自分は子供を残せませんでしたから、その想いをその夫婦がきっとその土地で実現してくれるに違いないと。

それまで家を売ること自体が母に申し訳ない気持ちでしたが、そうやって若いご夫婦が買ってくださったことで、子供の声がその場所に響くことにもなり、きっと母も喜んでくるだろうと。

最後にその家を去る時は哀しさもあるものの何か清々しい気分にもなりました。

親が亡くなるというのは人生においてたった一度か二度起こる経験で、その悲しさは何にも増して強いものです。

一つ一つの遺品をどうしてあげれば、その遺品が喜ぶのか、そして故人が喜ぶのか。

遺品たちの行き先を十二分によく考えて、ベストな方法をとってあげてほしいと思います。

37歳女 プロの遺品整理士の力を借りました

実家の母が亡くなり、遺品整理を行うことになりました。

母の死後、なるべく早く実家に足を運び残された遺品を整理しなければと思っていました。

しかし、仕事や育児で忙しく過ごしているため、遠方にある実家になかなか足を運ぶことができません。

また、初めての遺品整理だったので、どのように進めていけばいいのか全くわかりませんでした。

そこでインターネットで情報を集めたり書籍を読み漁ってみたりしたのですが、効率よく行う遺品整理の仕方は把握できませんでした。

時間や手間を考えた時に少しでもストレスを減らすなら、プロの遺品整理士の力に頼ってみることが一番なのではと思いました。

遺品整理を代理で行ってくれる業者は日本全国にあり、その中には経験や実績が豊富なプロの遺品整理士が在籍しているところもあります。

専門的な知識を持ち合わせたプロの遺品整理士の力を借りれば、手間や時間をかけることなく効率よく遺品を整理できることは間違いありません。

早速、口コミでも評判だった業者に連絡し作業内容や費用の確認をしました。

一軒分の遺品整理を行ってもリーズナブルな費用で行えることを知り、迷わず作業をお願いすることにしました。

実際にプロの遺品整理士に作業をお願いして実感したことは、とても丁寧に作業を進めてくれるということです。

使い古した不用品であっても故人の気持ちに寄り添って丁寧に扱ってくれます。

もちろん依頼主の希望に合わせて遺品を整理してくれるので、手元に取っておきたいものをきちんと残すこともできます。

一人で母の遺品整理を行ったら作業を終えるまでに長時間かかってしまっただけでなく、昔のことを色々思い出して涙が溢れてしまっていたと思います。

プロの遺品整理士と行ったことで温かな気持ちに包まれながら、母の遺品を整理することができました。

現在、両親の遺品整理で悩んでいるという方も多いと思います。

スムーズに遺品を片付けるなら、完璧な作業を行ってくれる遺品整理士の力を借りてみることをおすすめします。

40代男性 思い出の詰まった物だけ手元に残し不要品は回収業者へ‥

初めまして私は40代の男性です、この話は私の父親が亡くなった際の遺品整理の時のお話しです、私の父親はまだ70代だったのですが病気により亡くなりました、以前から多少は覚悟みたいなモノはしていたのですがやはり時が実際に来ると悲しいです‥。

私は20の時に実家を出て暮らしていました、実家には年に1度程度しか帰る事は無く両親とは全くと言って良い程に会話らしい会話はしていませんでした、母親はまだしも父親とは本当に会話はありませんでした。

しかしいざ父親が病気で倒れて数年後に亡くなってしまうと、自身の身体の一部が無くなってしまったかのような感覚を覚えました、やはり家族なんだなぁ‥とつくづく思いました、父親が亡くなり実家には母親一人になってしまいましたので葬儀やら遺品整理等の手配やら作業を私は率先して行いました。

葬儀や通夜は淡々と進み何事も無く済んだのですが、父親の遺品の整理は多少大変でした、やはり母親からすると父親の遺品は全て取っときたいという思いがあったらしく、なかなか整理作業が進みませんでした。

しかしそんな事をしていては一向に先に進まないと思い私は本当に大切な思い出が詰まった物だけを手元に置き、残りの物は回収業者に処分してもらう事を母親に提案して何とか母親を説得して遺品整理を行いました。

私は親戚だったりの葬儀や通夜等は何回か出席していましたが、遺品整理という作業の経験はこの時が初めてでしたので何かと戸惑いながらも周囲の方々の手助けやアドバイスもあり無事に済ます事が出来ました、しかし作業をしながら思う事がありました。

父親の遺品の整理をしていると私が小さな幼少期の頃の古びた写真が数枚出てきたり、私が幼少期の頃に父の日に渡した感謝の手紙が出てきたりしました‥、私はこれを見て率直に思いました‥もっと頻繁に実家に帰り何でも良いから会話すれば良かったな‥とか、もっと一緒お酒の相手でもしてあげれば良かったな‥と‥、そんな事を思いながら作業中涙が出たりもしました。

人生の中でこの世の中の大半の人達は一生に1度は必ず大切な家族を天国に見送る時が来ると思います、生意気にもアドバイスを言わせてもらうとすれば、親とは元気なうちに沢山会っときましょう、例え喧嘩になっても会っとくのが絶対に見送る時後悔しません、絶対です。

以上で私の遺品整理の体験談をお話しさせて頂きました、最後までお聞き下さりありがとうございました、それでは。

68歳男性 遺品整理を格安に短時間で業者にしてもらうための事前作業

68歳の男性で、年金生活者です。

ネットで文章作成の仕事をして小遣い稼ぎをし、その稼ぎを趣味の写真撮影の軍資金として風景写真撮影等を楽しんでいます。

私の母は父が亡くなって実家で一人暮らしをしていましたが、軽い脳梗塞を患って以来、急激に足腰が弱くなり、車椅子生活を余儀なくされ、特別養護老人ホームに3年余りお世話になっていました。

自宅が実家から自転車で10分ほどの所で、また入居した特養も自転車で15分ほどの所で、毎週特養に母の面会に出かけ、その帰路に実家に立ち寄って室内に風を通すと言うことを続けて来ました。

しかし、そんな母も2年前に94歳で他界し、実家の遺品整理を行う必要に迫られました。

住宅1軒分の家財道具を全て処分するのは非常に大変で、どう進めるかを考えた末に、一部のみを自分達で行い、後は業者さんにお願いする事としました。

箪笥内の衣類や書棚の書籍や雑誌やアルバム、そして引き出し内の色々な書類や装飾品等は自分達で少しづつ整理を進めました。

遺品整理業者さんに最初からお願いして、こうしたものを取り置いてもらいチェックする方法もあるでしょうが、ゆっくりと思い出にも浸りつつ、整理を進めるためにこうした方法を選びました。

貴重品や重要と思われる書類や形見となる様な品物を取り置き、衣類や書籍等の燃えるゴミとして自治体の回収ルートに乗せられるものの処分を自分達で行いました。

そして残った大型の家具家電や日用雑貨の様々な品物は、業者さんに搬出処分依頼しました。

こうした処分をしてくれる業者は多数ありますが、何度か利用した事のあるリサイクルショップを運営する会社が遺品整理・不用品回収も行っており、この業者さんにお願いしました。

事前に自分達で処分を進めていたため、貴重ではないかと業者さんが手を止めて確認する必要はほとんどないため、3人の作業員の方が雑多な品々を分別してタッカー車に積み込み、リサイクルショップで販売できそうなものと、大型の家具家電を4トントラックに積み込んで1日で片づけをしてもらえました。

費用からわずかですが買取してもらえた品物の代金を差し引いてもらえたのも、何となく嬉しく感じました。

事前に自分達で可能な部分を進めていたので、時間的にも短縮でき、また料金も比較的安く済んだと思います。

業者に依頼される前に、少しでも大切な品を取り置いたり、燃えるゴミとして処分できるものを自分達で廃棄処分して置く事で、少人数の作業員で作業が出来、また時間的にも短期で終わるので、近くにお住いの場合には、遺品整理の一部を自分達で進められるのがお勧めです。

48歳女性 高額な費用と労力を費やした遺品整理

実家の父親の遺品整理についてです。

私は父親とあまりそりが合わず…というか、父とそりが合う人はほぼいなかったに等しいですが…。

私には未婚の兄がおり、兄は父と二人暮らしでした。

兄も父とは良い関係とは言えませんが、少なくとも私よりは父に気を遣って暮らしていました。

そんな父は中古品(特に家電系)を買うことが趣味で、私からしたら病気に近い状態でした。

使う目的というよりは買う事が趣味といった感じで、購入後はそれが家を占拠するという所謂ごみ屋敷に近い自宅でした。

生前、常々、父には『亡くなった時この中古品は価値がなくなって廃棄するのにお金がかかるから、一つ買ったら一つ捨てるとかやってくれないと困る』と言っていましたが、意固地な性格の父親はそんな意見は一切聞かず、物を増やす一方で悩みの種でした。

そんな父も80歳を超え、高齢だったため亡くなりました。

田舎の為、お通夜等は自宅で行うのが慣習で、まずはお通夜等が行える場所にしなければならず部屋の片づけに一苦労でした。

その後葬儀を終えて、自宅を片付ける事になったのですが、物が溢れかえっている中で何をどうして片づけていけばいいか途方にくれました。

その上、好き勝手やっていた父は自分の死後の方針を一切誰にも伝えず、文章にも残さずで、私は負の遺産ばかり遺されたという思いで一杯でした。

古い家電は重量が重いものが多く、簡単に片づけられるものの方が少なかったです。

兄と相談し、迷わず片づけ業者の方に依頼しました。

思い入れのある物、残したいものなど選定する気力もないほど次から次へと家電が出てくる始末でした。

ブラウン管のテレビ、ビデオデッキ、PC、プリンター、もっと大きなものではコピー機、それも各1台ではないのです。

ほとんどが複数台。

種類にしたら何十種類で、業者の方へは総額の見積をしていただき、期間も業者の方のご都合のつく日に作業していただく約束で1~2ヶ月かけてお願いしました。

家電は古いものはお金にならない物もあるとの事で、片づけるのに100万円以上かかりました。

世間一般の故人を凌いで遺品を整理する…なんて状況とはかけ離れた遺品整理となりました。

46歳女 ご近所の遺品の整理をした両親に尊敬しました

40代の主婦です。

私が、高校生の時に、隣の家に住んでいた老夫婦の奥さんが亡くなられました。

心労もあるだろうと、私の母は、よく夕飯のおすそ分けを私に持っていかせました。

当時は、そんなに意図を感じませんでしたが、コンビニなんてなかったので、ご主人が奥さんを亡くされた事に対しての、母の気遣いだったのだと思います。

物静かな老夫婦でしたので、私は、とても仲良く過ごしたという思い出はありませんが、穏やかな方でした。

しかし、半年後、ご主人も亡くなられてしまいました。

両親は、そのご主人が奥さんを亡くされた後、家の鍵を預かっていました。

ご主人も御身内が近くにいなかったので、不安を感じていたのだと思います。

彼らの子どもさんという方が、わが家に挨拶に来られ、当分家はこのままにしておくと説明をし、私達が、老夫婦ととても親しくしていたと思ったのか、もし欲しい遺品があれば、持って行ってくれて構わないと言われました。

鍵も持っててくれていいとも言われました。

両親は、彼らの滞在時間を考えて、部屋の掃除などしていないだろうと、風を通して家が傷まないようにと、部屋の整理をしました。

何かは片付けていたのだろうと思いますが、夕飯を届けに行っていたままの様子に、逆に悲しくなり、私は、そのままで帰っていくなんて、と不満をあらわにしましたが、両親は、彼らにも家庭があって、時間がないんだろう、老夫婦にお世話になったお返しはしよう、というような事を言っていました。

骨董を集めるのが好きなご主人でしたが、家に同じ一輪挿しがあったので、両親に聞くと、母は、ご主人は歳を重ね、身体が思うようにならなくなった頃から、父が病院に連れて行ったりしてあげていた事に感謝して、これくらいしか高価なものはないから、もらって欲しいと言われて預かったけれど、こんな事になったので、親族の方が必要になるかもしれないと、戻したと聞きました。

私は、両親の好意だけで、人のために動く事ができる行動力やあたたかさを感じ、深く尊敬しました。

両親は、綺麗に掃除し、少しでもご遺族が持って帰ろうと思えるように、遺品の整理をしていました。

自分の両親に誇りを感じました。

38歳男性記憶の中だけのアルバム

福祉の仕事をしてもう10年経ちます。

福祉の仕事では、毎日と言っていいほど同じ空間がありません。

日々変化をして答えが無い状態で働いています。

現場では時に、出会いがあり別れも多い仕事です。

亡くなってしまう現場に立ち会う事もあります。

そうした時は、数か月はショックです。

ですが働いて年月が経つと次第に慣れてしまうものなのです。

ですから親が亡くなってしまう事に対しては抵抗なく受け入れることが出来ました。

なので日常は親が亡くなり早半年過ぎた今では気持ちが落ち着いている日々を過ごしています。

しかし遺品整理となると気持ちが入ってしまうのです。

懐かしい遺品を見た瞬間などにそれは起こるのです。

そうした時、手が止まり昔を思い出してしまう事があります。

時には捨てることをためらい捨てれない状態もあるほどです。

なので遺品の分別には時として感情が入り苦労してしまう事があります。

きっと落ち着いた気持ちとは逆に遺品を目にした時、親の愛情が蘇ってしまうからなのでしょう。

また大切なもの、そうでは無いもの、を見極めながら遺品整理をしているので時間もかかります。

しかし遺品整理にもこの頃は慣れて来ました。

それは気持ちのリセットをしたからです。

例えると実家に掃除に行くという感覚でとらえています。

ですから遺品整理に対しても抵抗がない状態です。

分別も早く出来ている今日この頃なのです。

私の親が他界したのは冬の事でした。

なので始めは部屋の気温も高くは無いので作業は楽だったのです。

しかし気温が上がるにつれて虫が発生したりするので困りました。

半年も遺品整理をしていますが虫の発生は結構ストレスになるので要注意です。

なので、夏場は作業がはかどらず手付かずの遺品があります。

また捨てれない遺品の中にはこんなものがります。

それは親が使っていた携帯です。

私なりにですが携帯はそのまま解約をしないで今でもある状態です。

それは、何時か携帯電話に連絡がきそうだからです。

心配性だった親でしたので今でも見守ってくれているのでは?と感じて解約はしていません。

また親の遺品には今でも悩むものがあるので、時には分別に一苦労をしています。

なので業者に頼もうと思いましたが、プライベートな事とあり自分自身で遺品整理を実行しています。

困る遺品の中には硯や文鎮、書道に使うものです。

また、譲ってもらったであろう本の数々。

この遺品は私には全く興味が無いので、親戚に譲っています。

その結果、書道関係の遺品に関しては半分減りました。

そうして残った分を私が今大切に保管をしている現状です。

また心配性な親だった為に、何処に何があるか解らないのも悩みます。

一番は、家族で写したアルバムです。

このアルバムは親の歴史、家族のありさまそのものなので捨てる事は出来ません。

またプライベートな写真とあり処分にも困るので探して見つけたのですが残念。

状態が悪くアルバムとしては見れない状態だったのです。

なので残念に思いましたが処分をしました。

このアルバムを生前親から譲って貰っていなかった事だけが今では後悔です。

思い出が溢れている写真は大切だと感じて今でも遺品整理をしている日々です。

35歳男 遺品の中から親父のメッセージ

今から10年前に親父がガンで亡くなりました。

57歳で亡くなったのですが、若かったこともありガンの進行がとても早く、仕事を辞めて2か月で亡くなりました。

親父がガンになってから約2年ぐらい、親父が毎晩痛みで苦しんでいるのを見聞きする度、家庭内はだんだん暗くなっていきました。

母と一緒に看病するも、ガンという病気に対して何もできず、できることは親父の食べたいものを作ってあげることぐらいでした。

親父は自分の死期を悟りだしたのか、だんだん感情的になり、家族との仲も悪くなっていきました。

僕も若かったので喧嘩をしたり、口をきかなくなりました。

親父が死ぬ1日前、昏睡状態になり、翌日亡くなりました。

悔しい思いが一気に高まり、もっと優しくしておけば、もっといろいろ話したかった、という後悔が生まれました。

それから10年経ち、親父の部屋もずっと手を付けずそのままでした。

仕事で出張や晩年は単身赴任だったので、もしかすると親父が帰ってくるかもしれない、と思ったからです。

本が好きだったので、一冊一冊、親父がどんな本が好きだったか、そんなことを思いながら整理していると、昔家族で行った旅行の写真がたくさん出てきました。

その数は500枚以上あったかと思います。

一枚一枚、写真の裏にコメントが書いてあり、当時のことを思い出していました。

そして一番最後の写真は僕が成人式の時の写真でした。

「これからいろいろあると思うけど、幸せになってくれ!」という一言と日付が書いていました。

その日付は親父が亡くなる1ヵ月前でした。

ガンと戦う中、親父なりに生き残された者のことを考えていたんだと思うと、涙が止まりませんでした。

1日で遺品整理を済ませようとしましたが、結局1ヵ月かかってしまいました。

それほど親父のことが好きだったんだ、という思いと、これから僕自身もっとしっかりしようという気持ちになれました。

遺品整理は故人と会話をするようなものだと思いました。

さっさと片づけず、故人がひとつひとつ関わってきたものに対して、何かを察してあげることが供養になるのかもしれません。

32歳女性、厳選して残さないと決めたものは処分した

私は30代で、高校の時に母親を乳がんで亡くしました。

高校の時に母親が亡くなった後はしばらく遺品整理をせずにそのままにしていたのですが、ほかの家族と考えた結果、少し生活が落ち着き始めたので、思い切って遺品整理をすることにしました。

正直できる事なら遺品整理をせずにそのままの状態にしていたいという気持ちもあったのですが、いつまでもそのままの状態でいるのはどうなんだろうという気持ちの方が大きかったため、辛い気持ちもありましたが決意した次第です。

このような気持ちで遺品整理をスタートしたので、正直最初は複雑というか、辛かったです。

母親方の親戚の方も遺品整理に加わろうとしてきたのですが、正直よくありがちな親戚間のいざこざのようなものを防ぎたかったので、ここは断って家族だけで頑張りました。

全ての遺品を処分するという気持ちは元からなく、とにかく母親が特に愛用していたものや、特に着用して愛用していた洋服などの物は、処分せずにとっておくという方向にしました。

幸い、我が家は賃貸マンションやアパートというわけではなく、持ち家一戸建てだったので、このような遺品整理をすることができましたが、もし賃貸マンションやアパートだった場合、様々な理由でのスペースの関係で、あまり遺品整理で物を取っておくことはできなかったかもしれません。

そう考えると、この状況で母親の遺品整理をすることができてよかったなと思いましたが、やっぱりそれでも複雑な気持ちではありました。

そんな遺品整理をするうえで、後悔していることは、やっぱり遺品整理で母親の物は全て取っておきたかったなという気持ちがぬぐえなかったことです。

もちろん遺品整理をすると決めたのは自分や家族ですから、全ての物を取っておくということは、遺品整理をしたとは言えません。

しかし、それでもやっぱり遺品整理をしない方がもしかしたらよかったのでは?という気持ちは、遺品されて厳選された母親の遺品を見て未だに感じることがあります。

このように綴っていくと、遺品整理自体がとてもマイナスなイメージのような感じがしますが、一方で遺品整理で厳選された物は、全て母親が最も大切にしていたものや、特に印象に残っているものなのですぐに大切にしていたり印象に残っている物をふと思った時にすぐに見れるのはいいなと思っています。

遺品整理をこれからしようと思っている人は、人によって感じ方は違うとは思いますが、私のように遺品整理をするということはメリットとデメリット、両方が存在しますが、遺品整理をするのも悪くはないということです。

40代 親しかった従兄弟の遺品と向き合って

私は、40代の主婦です。

遺品整理をしたのは、5年前に、52歳になる前に持病が悪化して亡くなった従兄弟のものです。

その従兄弟は、私の家から車で7分程の一軒家で、高齢な母親と2人で暮らしていました。

優しく穏やかでいつもニコニコしているような人でしたが、病気のせいで結婚を考えることもなく逝ってしまいました。

彼の母親で、わたしにとっての叔母は高齢になっても、無邪気で可愛らしい感じの人で、彼の1周忌が済むと、あんたの好きなようにで良いからたのむわ。

と言って、彼の遺品整理を、私に持ち掛けました。

慌ててすることもないし、都合がつく時で良いからと。

好きなようにと言われたので、業者に頼んで、すぐにかたずけることもできたのですが、なんとなく他人に任せるのが気が引けて、できるところまでやってみようと思いました。

叔母の家の2階が彼のスペースで、自営業だった彼は、その3部屋を事務所、趣味の部屋、自室にしていました。

ネットで調べれば、口コミもあって、専門的な分野のいろいろな業者が見つかり、本当に助かりました。

パソコン、電子部品、電化製品を着払いで買い取りもしてくれる会社に12箱もの段ボールで送りました。

スチールのたくさんの棚、事務机、小型の電化製品などは鉄屋さんに集荷してもらい、本、CD、ゲームソフトなどはBOOKOFFに沢山の段ボールで送り、買い取って頂いた料金は、すべて叔母の口座に入金してもらい、入金があるたびに、叔母とお寿司を食べに行きました。

 
                             最後に彼の部屋が残ったのですが、なかなか手が付けられなくて困りました。

もう、掃除や整頓をする体力がなかったのか、彼の部屋は、出しっぱなしの食器や、脱ぎっぱなしの衣類などがあり、彼が再び拾い上げてくれるのを待ってるように感じて、何度も涙がこみ上げました。

いつ、叔母が休憩のお茶にしようと、呼びかけてくるのか分からないので泣けないし、そんなところで泣いてる顔は、どうしても叔母に見せたくなかったので。

また、叔母のほうにも、私が役目を終えたら、今までのようには私が通って来ないと危惧していたようで、作業を遅らせようと度々お茶に誘ってるようだったので、付き合わないわけにはいかなかったのです。

そんなふうに悲しい気持ちやら、叔母の天然に笑いながら、のんびりと、7か月程で彼の遺品整理を終えました。

彼にはもう会えないけれど、なんだか彼と叔母との濃密な時間を過ごせたと思うし、きっと彼が、一人にしてしまった母親のことをとても心配していると思うので、こうして叔母の近くにいる事ができて良かったと思います。

62歳 男性 叔父の遺品を整理したら

私と妻、長女(未婚)に犬が1匹の家族で1軒家に住んでいます。

今回遺品整理をしたのは叔父です。

私の母の妹の旦那で、私より10歳下の女の子がいて子供の頃から一緒に遊んでいたのでとても身近に感じていました。

この子も結婚して、叔父の家の隣に家を建てて住んでいます。

そんな叔父が亡くなりました。

叔父は頭が良く、大手の会社に勤めていて、それなりの地位に付いていました。

何時も高そうなスーツを着て家に居る時もスーツ姿で私服を見た事が在りませんでした。

良く家に来て、私の父と飲んでいました。

とても楽しい人と言う印象があります。

母の妹はもう亡くなっていて、定年後は1人で暮らしていましたが、何処かに女の人がいると言う話は来ていました。

定年後に服装ががらりと変わって来たのです。

腕にはブレスレット、首には太めのネックレス。

ちよっと近寄りがたいイメージになっていました。

聞いた事の無い宗教にはまっていた様です。

叔父が亡くなったと連絡を貰い、直ぐに駆けつけました。

2階建ての1軒家に1人で住んでいたのですが、娘さんも隣に居てめったに行った事が無かったそうで、家をどうするのか、遺品はどうするのか話し合いましたが結論が出ず、とりあえず隣に居るのでゆっくり整理するということになりました。

私と、私の姉に段ボール3個分も遺品が入って居たのですが、一度家に行き色々見てみましたが、何の宗教か分かりませんが、そのたぐい物が多くてびっくりしました。

この遺品は勝手に処分出来ないと思いました。

余談ですが、夜になると叔父の家で何かの音がするそうです。

段ボールの中を見るとそれらしき物が入って全て置いて来ました。

娘さんと私と姉で話会いましたが、結論はその宗教の関係者を探して、この遺品をどうすればいいのか相談してみようと話がまとまりました。

きんきら金の物が多く相当金銭を使っていたと思われました。

未だに何という処か分かりません。

叔父もかなり変わっていた人だったので納得はしています。

叔父らしいと思います。

29歳女性 家族総出で80代祖母の遺品整理をするため、週末県外へ

私は20代後半女性です。

父方の祖母が80代後半で亡くなり、遺品整理を経験しました。

他の祖父母たちは私が幼少時に亡くなったので、私は遺品整理に初めて関わったことになります。

両親に誘われ、両親と私と妹で、祖母の三回忌を終えたタイミングで、祖母宅に行きました。

祖母の自室を中心に遺品整理に取り掛かりました。

懐かしい気持ちと共に、この膨大な量のモノたちをどう整理したら良いのか正直途方にくれました。

私たちは祖母宅から車で3時間の県外に住んでいましたので、1回の訪問で短期集中的に遺品整理する必要がありました。

8畳ほどの部屋でも、両親と私の大人四人でも、朝から晩までかかりました。

思っていたよりも時間がかかりました。

後悔していることは、その遺品に関わる思い出話をよく聞いておいたらよかったということです。

また、どれを保管してどれを処分するか、誰に譲れば良いのかを祖母本人に生前できるだけ細かく訪ねておくべきだったね、と両親とも話しました。

というのも、祖母は、生前、茶道の師範として多くのお弟子さんを持って茶道教室を開いていました。

しかし、それも亡くなる10年ほど前までの話でした。

祖母が使っていた茶道具は、祖母は、私たち孫の誰かがいつか茶道をやるのではないか、という期待を亡くなる直前まで持っていたため、大量の茶道具をお弟子さんには譲らず、自宅に保管していたのです。

しかし、孫の誰も茶道を引き継がなかったため、結局、茶道具は今回の遺品整理で処分することになりました。

せめて祖母と関わりのあった人たちに、と思いましたが、お弟子さんの連絡先や、中古品を引き取ってくれる茶道具店を探すのにも時間がかかり難航し、貴重な時間を取ってしまいました。

また、60代後半の両親にとっても、この遺品整理はかなりの重労働でした。

母は、遺品整理で腰を痛めてしまい、このような結果になるならば、初めから業者に頼んだらよかったなと思いました。

両親、祖父母など、自分より世代が上でいずれ遺品整理をするのが確実な親族に対しては生前に遺品についても話し合いしておくことをおすすめします。

60代主婦母の遺品整理は結局専門業者に頼み

もう10年前になります。

私の母が92才で亡くなりました。

年齢に不足はありません。

人は皆いつか死を迎えるものですから。

母が亡くなり葬儀他諸々の届出などが済んだ頃やっと母の遺品を整理する気になりました。

母は最期まで一人暮らしを貫いてました。

私は母の家から車で10分ほどの所にいましたから何かあればすぐ駈け付ける事が出来ましたが、流石に最後3日間ほどは病院にいましたので心配する事なく母とゆっくり最期の別れは出来ました。

年寄の1人暮らしと言ったらまあ、よくもこれだけの荷物があるものだと感心するばかりです。

何から手を付けていいか分からず取り敢えずは母の貴重品から手を付けていきました。

遠方にいる姉が葬儀後一度帰りまた再度出て来てくれたので私と2人での整理です。

でも2人共母が遺産などを持っていない事は分かっていましたのでお金の事で姉ともめるという事などはなくそちらはすんなりと済みました。

次は貴金属です。

母は数点ですが少し高価なものを持っていました。

これは私も姉も知らなかったものです。

母がいつ何処で買ったのかさえも分かりません。

保証書なども見つかりません。

私達に内緒で買っていたものなんですね。

母が自分の年金を貯めて買ったものでしょう。

母の自由ですよね。

後のアクセサリーなどはそう高くはないだろうと思える品です。

2人で話し合いそれぞれ一点ずつを母の形見として貰い後はすべて質屋へ持って行き現金に換えて折版しようと決まりました。

早速2人で質屋へ行き売ってしまい姉と現金を分けました。

気がつけばもう夕方になっています。

この貴金属の整理だけで一日が終わってしまいました。

これではいつ整理が終わるのか分からないので遺品整理屋をネットで調べ頼む事にしました。

姉がいる内に終わらせたかったので整理屋に無理にお願いしてその日の内に見積もりに来てもらい次の日に整理してもらう事にしました。

急なお願いにも対応してもらい殆どの品物を持って行ってもらった某遺品整理屋さんには感謝しています。

その後の空き家は数年経って売る事が出来ました。

遺品整理はとても大変なものだと改めて感じた事でした。

44歳、女、3年経っても残る父の物

44歳、女性です。

父、母、私、弟の4人家族、さらに弟には家族があり、同じ敷地内に2世帯ではなく別に家を建て、奥さんと長女と長男と暮らしています。

非常に賑やかな一家の大黒柱である私の父が、3年前、「心臓突然死」という病名で急逝しました。

本当に突然の出来事でした。

「行ってきます」と言って出かけた人が帰ってこない、突然の事に家族のみんなが動揺していました。

父を送るための儀式が一通り済んだ後、家には、当然ながら父のものが以前と変わらぬ所にありました。

突然死でしたので、何をどうしてほしいとか、家族の誰も聞いていません。

家族経営ではありましたし、数年前に私の弟に社長職を譲っていたので仕事の対面的な事は特に大変な事はありませんでしたが、それでも父が率先してしていた仕事もあり、弟はそれにかかりっきり、私と母とで父の遺品整理をしなければなりませんでした。

といっても、「これ、どうしようか?」というものといえば大量の文庫本や漫画本くらいでした。

特にものを溜め込んだり、何か趣味に打ち込んだりしている人では無かったですし(家族が趣味、な人でした)、何より、闘病とは程遠い所にいたままの突然死でしたので、父の意思をくみ取れるようなものが何一つありませんでした。

そのうち、いつも通り「ただいま」と帰ってきそうな気がする…家族のみんながそのように思っていたので、そのままそこに遺されている父のものを「整理する」という事に違和感があり、なかなか手をつけられずにいました。

一つ一つのものに父の思い出があり、また、在りし日の父の顔が浮かんで、それらのものを整理してしまう事で自分たちに何も残らないのではないか、という錯覚ともいえる気持ちが芽生えてしまったのです。

それでも、少しずつ、少しずつ、家からは父のものが無くなっています。

家族の気持ちが少しずつ落ち着いてくるとともに、今を生きていかなければならないという事が肌感覚で分かってきたからだと思います。

そして、物理的に、弟の子供たちのものが増えてきて、いわば「使わないもの」となってしまった父の遺品を整理せざるを得なくなった、というのが実情でもあります。

その「物」が無くても、思い出は無くなりません。

そして、思い出も、家族とはいえそれぞれ違うものや所に宿っています。

気持ちが落ち着くまで無理する事はありません。

思う存分、遺されたものとの時間を過ごしたら「ありがとう」を言って整理する…本当に、無理する事は無いんだな、と思いました。

29歳男 時を超える遺品・・・大切に保管しております

 こんにちは。

僕は29歳の男性です。

職業としては現在、自営業(フリーランス)をしております。

 この間に投稿させて頂きました記事の方に、自分の母親が天に召した事を書かせて頂きました。

 母親に逝かれてしまい、悲しみに暮れてはおったのですが、「このままではいけない!そして、僕がこんなに悲しんでいたら母親は成仏できない!」と思うようになりました。

 それで何とか自分を奮い立たせて、頑張っておりました。

そして、何とか生活がいつものようにリズムを取り戻してきて余裕がきました。

 「そういや母親の遺品整理をしなくちゃいけないな!」と思い、とある日曜日に母親の遺品整理を始めました。

 母親はコスメが大好きな人だったので、コスメ類の整理やら処分。

服の整理やら処分、ウイッグやら靴の整理やら処分等に追われておりました。

 もちろんですが、押し入れの中等のものも整理して、処分をしておりました。

 しかしここで、身に覚えのないものが出てきたのです。

「昭和17年10月」で途切れている日記です。

 しかも読んでいくと僕の母方のひい爺さんという事が、判明しました。

気持ち悪いくらい僕に顔がそっくりです。

 この日記の中に書いてある一文を紹介します。

「日本はアメリカと事を構えてしまった。

半年から1年で武力・若しくは講和によって戦争を終わらせる事ができなければ、故郷の広島を始め、日本の未来が見えない」という・・・文章です。

 その日記を見たときに僕は、「ひい爺さん・・・もしかして日本の負けを分かっていたのか?」と思いました。

 その日記の一番後ろの方に、ひい婆さんの写真が挟められておりました。

 もう70年以上も前のものが出てくるのも凄いと思いましたし、時代は変われど人の心というものが変わらないものだと思いました。

 母親の遺品と共に、ひい爺さんの遺品も大切に保管する事しました。

 これは母親やらひい爺さんの事を忘れてはいけないと、思ったのもありますし、昭和という激動の時代を生きた日本人を忘れてはいけないと思ったからです。

 後悔していることは、もう少し早くひい爺さんの遺品を見つけて、綺麗にして大切に保管するべきだと感じました。

 全く罰当たりだと思いました。

 最後になりますが、アドバイスとしては、遺品は故人が生きていたかけがえのない証拠だと思います。

 その証拠を綺麗にして、大切に保管することは残された者の義務だと感じました。

 確かに処分するべきものは処分するべきですが、保管できるものは極力保管して、故人を忘れてはいけないと思います。

 そして、その遺品から故人の生きた時代を感じる事が出来る場合もあると思いますし、それが自分にとって勉強になる場合もあります。

 みなさんも遺品は大切にしてください。

40歳男、遺品整理はまた悲しくなるだけ!

私は今、現在40代前半の会社員です。

去年、私は母親を亡くしてしまい、そして葬儀のあと遺品整理をしました。

母親は父親と違い、事前に何でも整理整頓する人でした。

ですので、自分が病気になったときから自ら何かあった時のためにと自分の私物を整理していました。

勿論、子供である私にはそれは気づいてはいました。

そして、母親が病気により亡くなってしまい残った家族で遺品整理を始めたのです。

父親は健在なのですが、母親と違って父親はあまり整理整頓などはしない人なのでたくさん物が実家には散らばっています。

その為、時折私は実家に帰るのですが。

その時にいつも母親に変わって掃除したりまたは整理整頓などをしています。

母親が亡くなった時はまだ信じられず遺品整理などは全く頭になく考えてもいませんでした。

しかし、現実に亡くなってしまったことに徐々に感じて来たときには本当に辛くなりました。

また、その遺品整理を進めるにつれ逆に悲しくなったのを覚えています。

全てに母親との思い出や健在だった頃の面影がかいまみえるからです。

そして、更には遺品整理をしていると思えば思うほど現実を受け止めて行かなくてはいけないとも思えたからです。

何故ならば、どうしてもそのときにはまだ母親が死んだと言うことを考えたくなかったからなのです。

そして、遺品整理の中でも、まだ使えそうなものばかりで改めて母親の死が早すぎたと思えました。

勿論、母親自身もまさかそんなに早くに亡くなるとは思っていなかったと思います。

現に入院している時から母親は元気にもうすぐ帰るとまで言っていましたので。

しかし、夢叶わず亡くなってしまいました。

そして、遺品整理も終わり、私は母親が日頃から使っていた数珠があるのですが、それをひとつ形見にもらったのでした。

また、私には弟がひとりいるのですが、その弟と私とで母親の遺品整理をし、そして更には遺品をいくつか頂きました、遺品整理など本当にしたくはないものだと改めて感じました。

63歳男性 思い出を引きずらない遺品整理を

私は30以上勤めていた会社を昨年引退した、還暦を超えた男性です。

仕事、仕事の生活で自分の人生を楽しむということをどこかに置き去りにしてしまった私はいまだに独り身です。

一昨年までは母と同居していましたが、去年骨折が原因で入院。

退院後もそのまま母は介護施設に転院したままになり、以後病院と施設を行ったり来たりという生活が一年続き、とうとう昨年に衰弱して亡くなりました。

喜寿でした。

我が家は4人家族でした。

築40年となる今のマンションには新築当初から住んでいます。

30年ほど前に兄弟は結婚して家を離れて家庭を持ちました。

父は持病のため既に亡くなっています。

その後の30年は母と二人だけの暮らしです。

仕事が忙しく家は寝るだけと私でしたので、家のことはすべて母が仕切っていました。

母の死によって今は完全な一人暮らしです。

4人の家族が生活するために揃えられた家具は狭い部屋を圧迫していました。

また天井や壁は黄ばみや湿気によるシミやそして所々にひび割れがありました。

カーペットの汚れもひどく張り替えが必要でした。

そこで思い切ってリフォームをすることにしました。

不用品を整理するところ始めました。

もう使わない母の6畳の洋間からです。

家具類の処分は業者にお願いします。

事前に母の遺品整理を兄弟と連日行いました。

タンスには既に着なくなっていた着物や帯がきちんと整理されて収納されていました。

引き出しの中にはバッグや古い宝飾品や時計が仕舞われていましたが、私はどれも見たことがありませんでした。

位置どこでこんな高価なものをと思うものも出てきて驚きました。

今までケチだと思っていた母がとは思えなかったのです。

生真面目で倹約家の父の手前でしょう。

父が亡くなった直後から旅行に行ったり習い事をしたりしていました。

娘時代の母は結構活発であったようで、結婚後家族のために自制していたのだと初めて悟りました。

本が数冊出てきました。

老化と認知症がテーマの本でした。

また私が幼少の頃の五月人形が大切に保管されていました。

少しですが母と対話ができた思いです。

リフォームをきっかけにすべての家具や生活用品を処分し新調しました。

自分の20年間の日記までも。

整理を進めるうちに家族の思い出や母の影を引きずりたくないという思いが強くなってしまったのです。

そのことに心残りはありませんが、綺麗になったこの部屋で母に暮らしてもらえたらと少し残念に思っています。

24歳男、遺品整理で少し侘しくなった

僕は、2歳の子供と1つ年下の妻と3人で暮らしている24歳男性です。

僕が20歳の時に、祖母が亡くなりお葬式が終わり確か1週間後ぐらいに遺品整理を手伝いに行きました。

僕の母親と母親の兄弟と僕の従兄弟たちとで遺品整理を行いました。

亡くなったのは、母親の方の祖母だからです。

遺品整理をし始めて、正直出てくるのは消耗品ばかりでした。

家事道具などもたくさん処分しました。

祖母は、一人暮らしだったので大分家の中が汚かった記憶があります。

と言うのも、僕の母親の方の祖父は僕が15歳の時に他界しました。

ですのでそこから1人暮らしが始まりました。

今思えば、祖父が他界してから祖母は少し気が病んでいたのかもしてません。

あらゆる物を処分し、掃除していると部屋のすみっこの棚からたくさんのアルバムが出てきました。

そのアルバムを開くと小さい頃の母の写真がたくさんありました。

母も若かったんだなっと思い、どんどん見ていきました。

途中で、私の母と赤ちゃんが写っていました。

何枚か見ていくとその赤ちゃんが自分だとわかりました。

僕は、全然覚えていませんが祖母、母、自分が楽しそうに笑っている写真がたくさんありました。

自分と祖母と2人で遊んでいる写真もたくさんありました。

ほんの少し記憶がある年齢ぐらいの写真もあり、自分の運動会の写真もありました。

祖母に小さい頃プレゼントしたものは、ほこりだらけでしたが、たくさん残していました。

僕はその時本当に祖母に可愛がってもらっていたんだなっと思いました。

1人アルバムを見て、涙が出てきて1人こっそりと泣きました。

アルバムを見ると、なんというかもう祖母にあえない、そのことがどんどん迫ってくるような感覚がしました。

死んでから、いくら祖母の事を思っても祖母は生き返ってきませんが、思春期の時とかきつく当たってしまったこととか後悔しています。

もう少し大事にできなかったのだろうかと。

ごめんなさいとおもいます。

やはり親とかには、生きているうちに親孝行していきたいと思います。

50歳男性 他人が見たらなんて事のない遺品だからこそ、価値がある

私は50歳、男性で、広告デザインを生業としています。

家族は妻と娘がいます。

義父が亡くなった時、葬儀が終わり、1週間が経ち、感傷的になりながらも、いつもの日常が始まり、でも、いつもいる場所に居る人がいない違和感は暫く消えませんでした。

そんな中でも、亡くなった人の部屋をそのままにしておくわけには行きませんので、事務的な事と平行して、遺品整理をしなければなりません。

小物は兄弟間での話し合いで、振分けていました。

クーラーたテレビなどは、日常でも使う物なので、バランス良く、振分けていました。

ただ、振分けられない大切な物もありました。

それは、義父が使っていた軽トラックでした。

この軽トラックで、私の娘が小さな頃、義父が色んな場所に連れて行ってくれました。

義父の行った先の写真には、この軽トラックがよく写っていました。

テレビやエアコンは、ある意味、無機質なものなので、日常に紛れると思うのですが、車はある意味、アルバムと同じぐらいの思い出の遺品です。

ハンドルには、きっと故人の汗が染み付いていると思います。

でも、処分しなければ、維持費が掛かってしまいます。

兄弟で話し合い、売るにも、売れないので、処分と言う形で、手放す事になりました。

処分先にその軽トラックを置いた時、何か義父を置き去りにしている様な感情が出てきて辛かった事を思い出します。

今、考えれば、どうせ処分するなら、ハンドルだけでも、取って、思い出の品として、取っておいても良かったのかなと、少し後悔をしています。

遺品の数や大小は、それぞれだと思います。

ただ、本当に故人との思い出がある遺品に関しては、靴なら一足だけでもいいです。

洋服なら一着だけでもいいです。

処分しなければと言う前に、そういう考えを持ちながら、遺品整理をしてほしいと思っています。

人から見たら、何て事のない遺品でも、一周忌や三回忌などで、集まった時、その何て事のない遺品から、故人の話が膨らんでいくと思います。

49歳女 母と遺品整理を進めました

40代女性です。

父が亡くなって遺品整理を母と一緒にしました。

悲しみに暮れているときの遺品整理は本当に辛いですよね・・・。

父が着ていた服を見ると元気だった頃の父が浮かび涙が止りませんでした。

私はあまり父と仲が良くなく父に遊んでもらった記憶もないのですが、その私でさえ父の遺品整理は辛かったのだから仲が良い父と子だったらどんなに悲しいか・・・。

私の父は愛人を作って、私が小さな頃に母と私妹と弟を残して家を出ました。

別の街に住んでいた父ですが、私が荒れて手がつけられなくなると母は父に連絡してそんな時だけ家に戻ってきて私を叱る父。

母はどういうつもりで愛人と住んでいる父を呼び出していたのか分かりません。

思春期だった私は自分の家族が普通の状態じゃないことが腹立たしくて、母はもとより父の説教も素直に聞くことが出来ずますます荒れていったのです。

時には父に頬を叩かれることもありましたよ。

怒鳴られることもしょっちゅう。

恥ずかしいことをしているのはどっちだと父をはじめ大人の男性が大嫌いになりました。

そういう状態が長く続き私も普通の人生は歩めなかったのだけど、父が大きな病気になりだんだんとやせ衰えていく様子を見ているうちに「昔のことは昔のこと」だと割り切れるようになっていったんですね・・・。

こんな私でも父の気持ちが分かり父のことを許せるようになっていたのです。

だから父の遺品整理の時は泣きました。

父は質の良い物しか着ない人でしたから何十年も前に着ていた服が良い状態で残っていて・・・。

靴下ひとつでも思い出があることに自分でも驚きました。

母は淡々と捨てるものと残すものとを分けていましたが、私はより分けることが出来ずしばらく母が捨てるといったものを捨てずに母に内緒で保管していました。

今私の手元には父が若い頃に着ていたスーツや作業着、それから時計があります。

父が亡くなって5年、今は父が大切にしてきたものに囲まれて幸せです。

32歳女 義母の遺品整理に駆り出され

義母が亡くなってから7年が経過したある日。

長くそのままになっていた義母の箪笥や押入れの整理を旦那と義妹で行うことになりました。

義母は闘病生活を長く過ごしており、私が家に入ったときには余命幾ばくもない状態でした。

しっかりと時間をかけてお会いできたのは20回あったかどうかという関係です。

義母が亡くなったとき義父は「自分では遺品は1つも捨てられない」と言っておりました。

私も無理強いすることはないと長年見守ってましたが同居が決まり部屋の一掃のために子供世代が集まって整理する運びになりました。

物はすべて一部屋に集めていましたが、大きな桐箪笥が3つ、クローゼットが1つ、押入れにはひとまずと思ってまとめた段ボールが5.6箱ありました。

まず箪笥のほとんどを占めていた洋服を引っ張り出しました。

義父ならば「勿体ないから着ろ」と言いそうですが、肩パットのバッチリ入ったジャケットの数々は義妹と私にはちょっと…。

ということでほぼ全て可燃ゴミに。

バーバリーなどのブランド品の綺麗なコートのみはオークションにかけるため分けて後日処分しました。

一着2000円前後で売れました。

問題は書類や雑貨類です。

義母は思い出の品を大事に保管するタイプだったようで、旦那が小学校へ持って行っていた手製の体操袋に、子供用のスキー板、30年前に通っていた保育園の連絡帳まで綺麗な状態でした。

これが段ボール2箱分あり、残すべきか捨てるべきかとても迷いました。

旦那は義母と同じく思い出は何でも保管派、私と義妹はさっさと処分派。

結局各自のものに分けて判断は個々に任せることにしました。

すべて終わるころには可燃ゴミ袋12袋になりました。

最期まで使っていた日用品や財布、衣類だけ少し残してあとはすべて捨ててしまいました。

遺品整理は部屋はスッキリしますが、時間が経っていても死者の物と向き合うのは精神的に力がいる作業な気がします。

この遺品整理をおこなった後、自分のものも今一度見直し、今必要なもの以外処分するようにしました。

特に衣類は一季節3枚くらいで着回して1、2年で総取り替えするサイクルを心がけています。

遺品整理に限らず亡くなった後の片付けは多くの人がテキパキできないものだと思うので、せめて自分に不幸があったときに家族が困らないようにしてあげたいなと思いました。

69歳 男性 遺品整理を自力で可能な限り行いました

60歳で大手メーカーをリタイアし、その後はライティングの仕事で小遣い稼ぎをしながら、つましく年金生活を送っている70歳前の男性です。

2年余り前に、父が亡くなって以来実家で一人暮らしをしていた母が亡くなりました。

父が他界して数年間は一人暮らしをしており、その後足腰が弱り車椅子生活となり、特別養護老人ホームにお世話になり、そこで3年余りを過ごし、94歳を前にして亡くなったのです。

通夜・葬儀、四十九日法要、百か日法要を経て、実家の遺品整理を行う事にしました。

すべてを業者さんにお任せしようかとも思いましたが、実家が自宅から自転車で10分余りと近く、また先に記載した様にすでにリタイアしており時間がたっぷりあるので、1周忌法要までに遺品整理を自力で行う事にしました。

最初の箪笥の衣類等を処分し、次に書棚の書籍等を片づけました。

この段階では順調で、このペースなら思いの外に早く完了すると思いました。

しかし、 夏が近づくにつれて作業が大変になり、週に2~3日各3時間程度の作業にペースダウンして行きました。

またアルバムや思い出の品に出会うと、作業スピードが極端に低下し、中々作業が進まなくなりました。

それでも、目標の期限を設定していたので、それに向けてゆっくりですが、マイペースで遺品整理を進めました。

様々なものの中には、分別方法が分からないものや、自治体が回収してくれないものも結構多く、そうしたものは一旦まとめて取り置き、進めました。

こうしてようやく1周忌前には予定通りに作業を終える事が出来、大型の家具・家電や自治体が回収してくれないものや分別方法が不明なものを業者さんに搬出・回収してもらいました。

回収処分依頼分は、4tトラック1台分もなく、費用も最低限の額で済ませる事が出来ました。

遺品整理を済ませると、やはり一区切りつき、心の整理が出来た気持ちを強く感じました。

家をすぐに処分する必要がないからと、遺品整理をせずに放置していると、こころの整理が出来ないので、1年以内を目途に行う事が大切だと思います。

しかし実際に自分達で行って、その大変さが身にしみてわかりました。

現役で働いておられたり、実家が遠方であれば、何日も遺品整理に時間をかける事はできません。

大切なものは自分達で探し出し、後の全てを専門業者に依頼して一気に終える方が現実的だと感じました。

これから遺品整理の必要な方は、自分達で一部を行い、後は専門業者に依頼されるのがお勧めです。

40歳男 父の部屋の片付け

3年前に父が末期のガンが発覚し余命いくばくかになった時のことです。

私は遠方に住んでいることもあり一時的に仕事も休暇をもらい帰省しました。

まず帰って兄弟たち(母は他界しています)と話しあい何をどうするか、父の現状どうなっているか
というところからの話。

まずこの時点で何から手をつければよいのやら、というところでしたが
ひとつづつ、じっくり片す余裕もないので目の前にある現場整理から

・ 経営している飲食店の閉店に関わる全て
・ 実家の他に住んでいたアパートの引き取り(仕事の都合上勝手がよかったらしい)

この2つが自分が一時帰省中に手伝ったことの大半なのですが特に大変だったのが

・ アパートの引取に関しての部屋の不用品処分

これが思ったより、というか想像を絶するレベルで大変で
いわゆる汚部屋、というものに分類されるものでした。

6畳ワンルームユニットバスのありきたりな間取りの部屋でしたがまずはゴミ。

このゴミがなくならない。

足の踏み場もない部屋、というのをTVで見て「こんなんないだろ・・・・」
と思っていた自分がまさか実の家族の部屋で体験することになるとは・・・・・
もう父は余命1ヶ月もないような状態だったので思い出の品、と呼べそうなものは取っておいて
それ以外の衣類、食器など生活用品は全てゴミ。

このゴミと呼ぶものもどこからどこまでゴミなのやら・・・
とりあえず使わない、いらないはゴミ!全てゴミ!と心に蓋をしてどんどんゴミ袋へ。

あとはフロ場でしょうか。

ユニットバスを想像いただいてその浴槽に何故かテレビやらクツやら雑貨なのか
なんなのかもう・・・・・どこでフロはいってたんだ!?っていうツッコミはもうこの際考えずひたすら捨て、捨て、捨て・・・・・・粗大ごみステーションが近場にあったのも幸いしなんとか1日がかりで清掃(処理?)
完了。

あとは滞在時間もあり自分の役目はここまで、残りは兄弟におまかせして自分は次に向かったのは葬儀の日。

あとは何も滞りなく済み事なきを得ました。

遠方に済むようになってからあまり会話もなかった父親でしたが最後にこうやって親孝行(?)できたのかな、
と自分の中ではいい方向に考えてます。

35歳男性 友人の遺品回収に苦労しました

35歳男性。

親しい友人の遺品整理を頼まれたことについてお話しいたします。

今から2年前ですが、友人が生活保護受給者であったため、アパートの緊急連絡先となってました。

友人とは月に一回程度連絡を取る仲でしたが、ある時から連絡が取れなくなりました。

仕事でも始めたんじゃないかと思って、心配はしていませんでしたが、ある時、アパートの不動産会社から連絡がありました。

乳児には、家の中で倒れていたため救急車で運ばれましたと連絡がありました。

この街も確認され友人の遺品がアパートの中で全て残っている状態になってしまいました。

最初はあまり気にはしていませんでしたが、1ヵ月程度経った後に不動産外車から連絡がありました。

私が緊急連絡先になっていると言うことで遺品を全て回収してほしいと言う連絡でした。

最初言っていることが分からず当惑してしまいましたが、不動産会社の人は、緊急連絡先と言うことで遺品を回収する義務があると言うことでした。

とても信じられないので不動産会社には、友人の両親等にお願いしたらどうですかとお話ししましたが、その友人は両親の連絡先など一切不動産会社に教えていなかったようです。

とてもじゃないけど費用もかかってしまうので、自分にはできませんと再三に渡りお断りしましたが、不動産会社から、とにかく現地に来て一緒に遺品回収の立ち会いをしてほしいということを言われ、仕方なく当日その場所に行きました。

友人宅はとても汚れていて、足の踏み場もないゴミ屋敷状態でした。

不動産会社から、友人の貴重品類を回収してほしいと言う依頼でしたので、友人の通帳や印鑑、運転免許証を仕方なく回収しました。

なぜ自分がそんなことをしなければならないのか、不動産会社の担当者がいる中で、非常に不満な表情していました。

結局、友人の貴重品類は自分が保管することになりました。

しかし、友人の荷物の中から、友人の両親の連絡先や住所が見つけられたので、その後に私が責任を持って連絡をしてみました。

友人が亡くなったことにとても驚いました。

火葬はすでに終わっていましたが、もう一度ご両親の方で葬儀等執り行うと言うことで、遺骨を葬儀会社から回収などされたそうです。

遺品となっていた貴重品類もご両親のほうにしっかりお渡しできたので、自分にはあまり負担にはなりませんでしたが友人が残していた遺品を回収することに非常に心労がたたってしまい数日体調を崩してしまいました。

できることならば、アパートを借りる際に保証会社等を使って欲しかったなぁというのが正直な気持ちでした。

30代男性 遺品回収の仕事はお金では無く心情だと勉強になった

初めまして私は都内在住の男性です、私は以前遺品回収業の仕事をしていました、その時経験した体験談をお話しさせて頂きたいと思います、宜しければ聞いて下さい。

私は都内郊外にある遺品回収業社で約3年働いていました、遺品回収業といっても単に遺品を回収するという事では無く亡くなられた後の室内清掃から不要品の処分そして遺品回収といった事を全て行います。

私が遺品回収の仕事を始めたキッカケは失礼な話ですが‥給与が良いという事でした、まぁ‥後にこの仕事はお金が高い安いでは無いな‥と感じてきたのですが‥、私はこのような給与が高いからという理由でこの仕事を始めて入社当日に初めての現場に行き打ちのめされました、何故ならやはりお亡くなりになられた方の数日後のお部屋という事で初めての現場だった私にとってはその故人の方の生活臭やらがキツかったのです‥。

しかし月日が流れて1年もするとだいぶ仕事にも慣れて割りきって作業を進める事が出来るようになりました、そんな中でも清掃はまだマシなのですが一番慣れない作業がありました、それは遺品の整理です‥基本的に遺品は親族身内立ち会いの元に進められるのですが、親族身内の方が処分して欲しいという物は処分して残して欲しいという物は残すという事になります。

ちなみに処分して欲しいという物の中に買い取り出来る物があればその場で現金買い取りを行います、しかしこの処分する遺品を捨てに行くのがいつまでたっても慣れる事がありませんでした‥やはり生前使用していた物と思うと故人の念が憑いているのでは‥?とどうしても思ってしまうのです‥。

もちろん廃棄処分をする前にお祓いをするのですが、気分は良くありませんでした‥、そして私が一番最悪な現場というかキツかった現場はやはり孤独死の現場でした、やはり大抵の孤独死の現場というのは遺体が腐り出して異臭が発生してからの発見となります、その為自動的に警察官の立ち会いの元管理人や大家さん等と打ち合わせをする事となります。

一軒家の場合で身内が全くいない場合は警察と遺品回収業者が打ち合わせをして後処理作業を行います、この孤独死の現場は遺体は警察が事件性があるか無いかの検証をしてからスグに警察が遺体を引き取ります、その後は私達回収業者が現場を引き継ぐという流れになりますが‥死臭が半端では無いのです。

この腐敗した故人の方が住んでいたお宅の清掃は本当に慣れる事は出来ませんでした‥やはり布団やらじゅうたんやら畳やらにビッチリ付着した体液やら血液やら糞尿やらで私は失礼ながら吐いてしまった事が何回もありました、そんな事を我慢しながら仕事と割りきり頑張っていましたが、耐えきる事が出来ずに私は辞めてしまいました。

最後になりますが、遺品回収というのはお金では無く心情だという事が私は心から分かりました、給与が良いからでは無く亡くなられた方の気持ちを一番に考えて亡くなられた方がどのように後始末をして欲しいのかという事を寄り添い考える事がこの仕事には一番大事な部分だと私は感じました、今ではなかなか経験する事が出来ない仕事を経験して勉強出来た事を有り難く思っています。

以上で遺品回収に関する私の体験談のお話しをさせて頂きました、最後までお聞き下さいましてありがとうございました、それでは。

32歳 女 祖母の遺品整理から零れ出た祖母の思い出話し

私の家庭では、長年祖母の遺品整理ができていないと言うような形でありました。

祖母は大変可愛そうな状況で5人の子宝に恵まれましたが、どの方も、独立されて当然ではあるのですが、全員が家を出て行かれる形になりました。

私の父としましては、3男で特に当たり障り無い形で、昔で言えば高校を卒業できただけでも御の字であった時代の昔の時代であったのですが、定時制の工業高校を卒業する形になりまして、民間の会社に就職する形で、父親としましては、母親に求婚する形でめでたくゴールインしたと言う状況でありました。

祖母としましては、5人の男兄弟を育て上げた家は、借家でありまして、実は祖母は家を出たいと言う状況でありました。

そこで祖母の長男が、祖母を引き取ると言う形で、自分の家に招き入れるような形で、祖母を招いたのですが、その結果としましては、祖母からすれば散々な状況でありました。

金目の物を長男の嫁に全て奪われた挙げ句に、通帳のお金も祖母がJRAで職員として貯めたお金を全て持って行かれるような形でした。

来た当初こそは、火垂るの墓のような形で、厚遇で毎日、お手製の手料理や、豪華な食事を与えられると言う形でありましたが、時間が経過するにつれて酷くて冷酷な状況に徐々に変化していくと言う形でありました。

祖母の長男夫妻が祖母に冷たく冷遇しだしてからは、祖母に命令口調で「トイレの中で一日過ごせ!」と言う厳しい口調で怒鳴りつけたりですとか、「このノロマ!!さっさとどっかいけ!」みたいな形で、言われたと、毎日そのような迫害があったと言う状況を逃れてきた私の実家で後日談として私の母親に告げるような形でありました。

そこから祖母がなくなり遺品整理として祖母の辛い話しを聞きながら、「お婆ちゃんウチに来れて良かったね」と言いながら、遺品整理をしてお婆ちゃんの思い出話しに花を咲かせることができました。

悲しい話しだけではなく楽しい話しも展開できて良かったです。

50代 男性 遺品整理をして楽になりました

8年前の事です。

ガンを患っていた妻を無くし、彼女の遺品を整理することにしました。

その時は、全くと言って思考が止まっている状況で、深く物事が考えられずにいました。

まず、親類、兄弟に形見分けをした後、当然のごとく、たくさんの遺品が残りました。

彼女の持っていたもの、洋服等、見るだけで涙が出るし、辛い気持ちになりました。

いっそのこと、全てを整理しようと考えました。

まず、洋服、靴等を処分することにしました。

インターネットで買取業者に連絡し、訪問日時を決め、査定してもらうことにしました。

ほとんど来ていない洋服や、全く履いていない靴など、査定してもらいました。

購入額は、おそらく何百万円相当。

ほとんどがヨーロッパのブランドものでした。

靴は、日本のブランドのものでした。

今考えると、もうちょっと、やりようがあったのではと思いますが、その時は、全てがどうでもよかったので、出た査定額、3000円で引き取ってもらいました。

どう考えても、安過ぎたと思います。

先ほども記述しましたが、ほとんどが、ヨーロッパのブランドものなので、高額で購入しています。

今となっては、買取業者各社に査定してもらい、条件の良いところに買い取ってもらうなどした方がよかったと思います。

あとは、バッグや時計、アクセサリーです。

これは、komehyoなどの中古高級品取扱店に買い取ってもらうことにしました。

商品の写真を何枚か摂って、買取業者の買取サイトにエントリーしました。

次の日だったと思いますが、電話連絡がきて、
査定額を伝えられます。

あとは、店舗に実際のものを持ってきてもらい、本査定するので、金額が前後する必要があるということを言われました。

言われるがまま、持ち込みの日時を決め、店舗にバッグや時計、アクセサリーを査定してもらいました。

30分ほどで、査定額が出ました。

これもブランド品ばかりだったのですが、この買取業者は、そこそこの値段を出してもらいましたので、すぐに換金してもらうことにし、お金を受け取りました。

彼女の主だったものがなくなると、ものを見て涙することはなくなりましたが、写真を見るとどうしても涙が出てしまします。

しかし、写真は、今も大切に保管してあり、仏壇にも彼女の写真を飾っています。

物は、その時の2人の状態や楽しかったことなど、どうしても思い出してしまうので、精神的にキツイので私としては、遺品整理をしてよかったと思っています。

50代女夥しい遺品整理を業者に依頼し無事完了しました

50代後半、女性、専業主婦です。

20代の娘2人と定年退職前の夫との4人家族です。

はた目からはまったく、体調の異常は感じられなかった姑が、実は心臓疾患をかなり悪化させており、急に自宅で倒れていたことを、近所の方の通報で知らされました。

駆けつけてみると、仏間でうつぶせになり、冷たくなっていました。

警察や検死の医師によると、その日の朝に亡くなったとのことでした。

1週間前にも会ったばかりで、元気に、うな重を頬張っていた姑の姿からは、思いもよらない結果となりました。

悲しむ暇もなく、あわてて通夜や葬儀の手配や身内や知人への報告でてんてこまいです。

親しくしていた近所の方々も続々と姑宅におとずれ、直に最期のあいさつがしたいというので、対応に追われているばかりでした。

そして、告別式も終わり、無人となった姑宅には、私たち夫婦とは長らく別居していたせいか、何がどこにあるのかさっぱりわかりません。

物を溜め込むタイプの人でしたので、どの部屋も、どの収納部もさまざまなモノであふれかえっています。

自分のことはあまり話さない人であったので、金銭や不動産などにかかわる重要書類がどこにあるのか
見当がつきませんでした。

大量の洋服や着物などが散乱するなかで、嫌らしい話ですが、まず銀行口座や実印・現金などを探さないといけません。

姑の嫁入り道具であった、桐たんすからまず、みつかりました。

姑は不動産を経営していましたから、それに関する口座もあるはずと、夫婦二人で、家じゅうをひっくりかえして、しらみつぶしに見ていきます。

すると座敷にしいてある絨毯の下からもみつかりました。

仏壇の奥から、出てきたものもあります。

きりがないため、あとは、引き出しに郵便物が山とあったので、金融機関から郵送されたものから割り出していきました。

残されたものは、大量の衣類や食器類や家電、家具、冠婚葬祭で贈られた品々、壺や掛け軸、日本人形、貴金属やバッグや化粧品etcです。

入れ歯や金歯などの身体装具品も数多くあります。

市指定の大きなゴミ袋を持ち込み仕分けしながら片付けていくのですが、どうしてよいのか分からないものがあります。

アルバムです。

若いころから最近までの写真が貼られていたり、孫たちと撮った写真も簡単に挟まれていたりします。

捨てるには、故人の想いを考えると軽く扱うわけにはいかない気がして、保管することにしました。

そして、最期まで世話をしていた仏壇は我が家に引っ越しさせることにします。

専門の業者さんに依頼し、仏間に納めてもらいました。

残った自力で始末できないものは遺品整理業者に頼むことにします。

大型家具や家電が多かったため、費用もかかりました。

人間というものは一度の人生でこんなに大量の品物を置いて逝ってしまうのかと思うと無常感があります。

29歳男 親戚の叔母さんに頼まれ遺品回収業者へ依頼 良かったです

 こんにちは。

僕は29歳の男性です。

職業としては現在、自営業(フリーランス)をしております。

 いつのもように家でパソコンに向かい、仕事をしておりました。

 そこへスマホへ着信がありました。

見ると親戚の叔母さんではありませんか。

僕は「もしもし。

久しぶりー」というと、叔母さんも「?久しぶりー」という感じでした。

 近況報告やらバカ話やら世間話、そして、「彼女でも出来たのぉー?(笑)」なんて冷やかされたりして、とても楽しかったです。

 ところが叔母さんから「実は頼みたい事があるんだ」というので、話を聞いてみました。

 「私の実家の事なんだけどさ、今空き家になっているでしょう?でもね。

遺品が多すぎて片付けるのも嫌になってしまうのよ。

そこで遺品回収業者なるものがあるらしいんだけど、調べてもらっていいかしら?そして、ちょっと会って教えてくれない?」という事でした。

 因みに親戚の叔母さんはスマホやらパソコン・ネット等が全くダメな人です。

機械を見ると寒気がして蕁麻疹が出るというくらい、機械系には疎い人なので、僕が検索する事になりました。

 電話を切った後に、ネットで「遺品回収業者」なるものを調べると山のように出てきました。

(便利な時代になりましたよね。

 僕は予算と立地、どのくらいのクオリティとスピードでやってくれるのか?を見極めてから、1社だけ良さげな業者を見つけました。

 僕は直接電話で問い合わせをしました。

 そうしたらその地域と予算ならば、6時間くらいで片付けられるという事でしたので、叔母さんに連絡を取り、遺品回収当日は自分も立ち会う事にしました。

 ちょうど気分転換にもなるだろうと思ったのも事実です。

 そして、遺品回収当日。

 その日は朝の10時から業者さんが来てくれて、遺品回収に取り掛かってくれました。

 僕と叔母さんはリビングで、お茶とルマンドを食べながらどうでもいい話をしておりました。

(笑)

 しかし予想に反して13時には、全ての作業が完了しました!予定よりも2時間早く終わったのです。

 「さすがプロだな!」と感心したものです。

 叔母さんは業者さんたちにお礼をいい、お金を払い業者さんは引き上げていきました。

 僕も何気に叔母さんにお小遣いを貰っちゃいました!(笑)叔母さんは「小さい時みたくチューしてやろうか?」なんて冗談を言っておりました。

(笑)

 僕は「いいっす!遠慮します!」と叔母さんは「即答かい!」という感じです。

 後悔している事はないですね。

むしろ、気持ちいい取引を出来てスッキリしましたし、空き家の実家もスッキリして後日に売りに出しました。

 今では買い手が見つかったとのことです。

 最後にアドバイスですが、空き家だったり気になるゴミやら遺品がある方は、遺品回収業者を検索して問い合わせてみたほうがいいと思います。

 問い合わせだけするのでも、大分気持ちの持ちようが違ってくると思います。

 そして、スケジュールやら予算が合えば、遺品回収業者に任せてスッキリした方がいいと思います。

 叔母さんのように買い手が見つかれば、思わぬ利益が生じる事もあると思います。

68歳男性 妻の実家の遺品整理を業者にお願いしました

妻の母が急に亡くなり、バタバタと通夜葬儀を営みました。

私の母が亡くなった時には、実家は持ち家であった事もあり、慌てて遺品整理をする必要もなく、百か日法要を済ませてから自分達で少しづつ進めた経験がありました。

それでも最後には業者にお願いして自治体でゴミ回収してもらえないものや、大型の家具家電の搬出処分をお願いしました。

しかし義母は賃貸アパートに暮らしており、私の家からは1時間余りの距離の所にある為、自分達で少しづつ進めると言う訳には行きませんでした。

四十九日法要を済ませると、すぐに業者さんに遺品整理をしてもらう事にしました。

箪笥の引き出し等をチェックし、貴重品と思える物だけ自分達で取出し、後は全て遺品整理業者にお願いしました。

衣類や燃えるゴミは自分達で片づけようとも考えたのですが、部屋はアパートの1階なのですが、傾斜地に建っているため、部屋へはコンクリート造りの急な外階段を上り下りする必要があり、足腰が少し弱りつつある65歳を過ぎた私達高齢夫婦には荷が重く、全てを業者さんにお任せする事にしました。

3名の作業員が手際よく分別して、こまごましたものをビニール袋に詰め込み、ほとんど1日で整理作業は終わりました。

翌日の午前中に業者さんが4tトラックでやって来て、大型の家具家電を積み込み、最後に分別したゴミ袋を積んで全ての作業が終わりました。

若い作業員がテキパキと作業する事で、あっという間に全ての家財道具の搬出が終わった事に、改めて驚かされました。

義母の暮らしていたアパートの遺品整理は、物理的に大変なために業者さんにお願いしたものです。

しかし、心の整理がつかずに、い遺品整理が自分達で進められずに放置されている場合にも、業者さんにお願いし、遺品整理の背中を押してもらう事も時には必要だと聞いています。

我が家の場合には、義母は90歳を前にしての他界で、ある意味天寿を全うしたと言え、妻も後ろ髪惹かれる事無くすんなりと遺品整理を受け入れていましたが、未練が残る年齢なら、やはり業者さんに後押ししてもらって遺品整理を進める必要があったろうと思います。

26歳 女性 実父の部屋を片付けた

 26歳、医療職の女性です。

 特殊な職務環境のため、月残業について働き方改革の恩恵には与れません。

家には眠りに帰るだけの毎日で、実家にいながら両親とまともに顔をあわせることもありませんでした。

日も昇らないうちに家を出て、真夜中に帰宅して眠る日々。

母とは多少会話がありましたが、もともと折り合いのよくなかった父とは本当に顔も合わせません。

生前どんな表情をしていたのか思い出せないような有様です。

 24歳の12月、突然職場に連絡が入りました。

 実母からで、長患いの祖母がついに亡くなったかと思って受話器をとると、「お父さんが死んじゃったよ」とのことでした。

結論からすれば突発的な心疾患による突然死で、職場にて急に倒れ、そのまま亡くなったようです。

詳細は分かりません。

 ただ母は淡々と、「救命士さんに、蘇生したら帰ってくるんですか?って聞いたら、わからないって言われたの、だから、じゃあ、やめてください、って言ったんだよ」と、電話口の向こうで立ち尽くしている姿がまぶたに浮かびました。

「職場の人に事情を話してから帰る、すぐには無理」と答えて電話を切り、たまたま近くにいた上司に報告したところ、ありがたいことに今すぐに帰りなさいと指示をもらったことを妙にはっきりと覚えています。

 急いで帰宅しましたが、検死の都合なのか、それともその他諸々手続き上の都合なのか、父も母もまだ家にはおらず、親類やきょうだいたちが泣いているだけ。

 寒い夕方でした。

 庭に差し込んだ日差しが本当に綺麗な橙色でした。

 父が先に、葬儀会社の車から、ストレッチャーに乗って到着し、間も無く母が追いかけるようにして帰宅しました。

 白い布を外して出てきた父の顔はプラスチックに似た、奇妙な質感の冷たい皮膚でした。

あれは何色と言えばいいのかわかりません。

2年経ってもまだわからないままです。

 布を外した瞬間の、あのゾッとする感覚は、生涯忘れないでいたいと思います。

 ああ、親は死ぬんだな、と。

 
 年末の冷え込みで亡くなる人が多かったのか、しばらく日にちは空いたものの、葬儀はとりあえずは身内のみでひっそりと片付きました。

 父はあまりものを多く持たない人でしたが、それでも遺品というのはそれなりに出てくるものだということを初めて知りました。

何より、故人の部屋に立ち入ることに、あれほど勇気がいるということも、初めて知りました。

 父はもしかしたら、何か病だったのかもしれません。

 カーテンは執拗に画鋲で止められ、部屋は暗く、換気もあまりされていないのか、こもった匂いがしました。

タバコのヤニが古い毛布に染み付いたせいなのか、それとも、埃の匂いだったのかわかりません。

古い空気の匂いが部屋いっぱいに満ちており、まずは換気をしなければ、と窓を全て開けました。

 きょうだいたちは父の部屋に入ることはできず、母のケアに当たらせ、忌引きの間に私が一人で担当しました。

 部屋のこもった空気を吸った遺品など、ひとつも残しておきたくなくて、私はとにかく捨てました。

片っ端から、目に入ったものはもう何もかも捨てました。

カーテンも毛布も枕も、父の肩幅に合わせてのびた半纏も、まだ残っているタバコも、愛用していた灰皿も、もう憎いのか悲しいのか辛いのか、誰にあたればいいのか、わからないまま捨てました。

 真冬だというのに汗をかき、窓を拭き、フローリングにワックスを塗り直す私は滑稽だったでしょう。

 とにかく、何か思い出が私の心に蘇ることが嫌でした。

 遺品は残さない。

 全部捨ててしまわなくては。

 疲れ果てて、ワックスの乾いた冷たい床に寝そべりました。

フローリングは私の顔がぼんやりと写りこむほど清潔です。

風は凍てついて、髪の毛の隙間に溜まった汗を静かに冷やし、グツグツと煮えたぎる感情も落ち着くような気がしました。

そのまま、しばらく父のことを考えました。

何度か思考の合間に、あのプラスチックじみた肌の感じが入り込みます。

 ああ、お父さんは何を考えていたんだろうなあ。

 帰ってきたら何を食べるつもりだったんだろうか。

 炊飯器のお米は帰宅の時間にセットされていた。

 冷蔵庫には鯵のお刺身があった。

 日本酒もそう言えばあった。

 のんびり晩酌するつもりだったのかも。

 あの白いご飯はせっかくだし仏壇に備えたけど。

 お刺身はやめておいた。

 あの日、多分、声を聞いたのは私が最後だろう。

 気をつけて行くんだぞ、と言っていた。

 私は返事もしなかった。

 頭の中は仕事のことでいっぱいで、まさか死ぬとは。

 お父さん。

 
「ちくしょう!」とようやく声に出ましたが、出ただけでした。

心配したきょうだいが様子を見にきて、空っぽになった部屋を見て愕然としていました。

 ここまで捨てるか、と言われて、捨てられないでしょうおまえたちでは、と答えました。

 今でも私は時流に逆行するような働き方をしています。

すっかり片付けた父の部屋に私の荷物を全部移して。

 全部片付けられてしまってつまらなくなったのか、父の夢は一度も見ていません。

28歳女、遺品整理で先の人生への光を志す

私は20代後半の女性です。
以前、母方の祖母が亡くなった時の体験を話します。

私は祖母とは別居しており、祖母は別居先の家族と生活していました。祖母は入院してから1年もしないうちに亡くなってしまいました。

遺品整理は亡くなる直前に、祖母の息子の奥様がやってくれていたようです。

私や母は、祖母が亡くなってから遺品を見せてもらい、持ち帰るかなどを決めました。
確か49日を過ぎた後にきちんと整理しに行きました。

祖母がよくつかっていたハンドクリームやシッカロールは私自身、幼い頃に見覚えがあり、目頭が熱くなりました。

また、まだ祖母のにおいが残っているような、まだ生きているのではないかと不思議な気持ちになりながら遺品を手に取って眺めていました。

物にも使っていた人の魂が宿るのかもしれない、そんな気持ちにさせられました。

もっとまめにお見舞いに行き、祖母にとって大事な物事は何かと聞いておくべきだったなと本当に後悔しています。

いつも自分より子供や孫の事、人の心配をしているような面倒見の良い祖母でした。

入院してから、祖母に会うのがとても怖かったです。
だってあんなにしっかりしていて、いつも陽気に笑っていた祖母が弱って、床上から動けないでいるだなんて・・・。
祖母自身も、人前で弱気な所を見せたがらない部分があったのでそれを思うとお見舞いに行くことで無理させてしまうかもしれない。
そう思うとなかなか行く事ができませんでした。

祖母よ本当にごめんなさい。
私が後悔し続け、弱虫でいる事で、祖母は亡くなっても安心できないような気がします。

だから私は強くなります。
祖母が安心だって心から思えるように、前しか見ません。そんな勢いで生活していこうと思います。

遺品には本当に生前からの人間との思い出が詰まっています。
本人が本当にずっと何年も使っていたもの等はまだ神棚の近くに置いてあります。

これから遺品整理をなさる方に一つ言えるのは、姿見などの鏡は処分した方が良いという事です。
故人を映し続けたものが生きている者の姿を映すというのはあまり縁起がよくないと考えます。

それから、亡くなってから一気に整理を始めるのではなく、60歳を過ぎたら一度行う等、区切りをつけていく方が整理しきれるのかもしれません。

以上、実体験に基づいたお話でした。

遺品整理ですっきりとした人生を送ろう

遺品整理がなかなかできなくて人生が停滞したという話はよく聞く話です。

遺品整理などは少しドライですが、遺品整理業者などにお願いして、高速で済ませ、あとは思い出だけを胸に、亡くなった人の分まで精一杯生きるほうがいいのだと思います。

ところで、遺品整理をしてから体調が悪くなったとかいう人もいます。時間がたてばだいじょうぶになるとは思いますが、気になるようでしたら霊能者本物に出会うには?というサイトの『[どかーんと開運]未経験でも自分でできる12のお祓い方法』などを参考にされるといいと思います。

管理人もやってみてスッキリした方法なので効果的だと思います。