遺品整理体験談:愛と記憶を尊重する片付けの物語

24歳男、遺品整理で少し侘しくなった

僕は、2歳の子供と1つ年下の妻と3人で暮らしている24歳男性です。僕が20歳の時に、祖母が亡くなりお葬式が終わり確か1週間後ぐらいに遺品整理を手伝いに行きました。僕の母親と母親の兄弟と僕の従兄弟たちとで遺品整理を行いました。

亡くなったのは、母親の方の祖母だからです。遺品整理をし始めて、正直出てくるのは消耗品ばかりでした。家事道具などもたくさん処分しました。祖母は、一人暮らしだったので大分家の中が汚かった記憶があります。

と言うのも、僕の母親の方の祖父は僕が15歳の時に他界しました。ですのでそこから1人暮らしが始まりました。今思えば、祖父が他界してから祖母は少し気が病んでいたのかもしてません。

あらゆる物を処分し、掃除していると部屋のすみっこの棚からたくさんのアルバムが出てきました。そのアルバムを開くと小さい頃の母の写真がたくさんありました。母も若かったんだなっと思い、どんどん見ていきました。

途中で、私の母と赤ちゃんが写っていました。何枚か見ていくとその赤ちゃんが自分だとわかりました。僕は、全然覚えていませんが祖母、母、自分が楽しそうに笑っている写真がたくさんありました。

自分と祖母と2人で遊んでいる写真もたくさんありました。ほんの少し記憶がある年齢ぐらいの写真もあり、自分の運動会の写真もありました。祖母に小さい頃プレゼントしたものは、ほこりだらけでしたが、たくさん残していました。

僕はその時本当に祖母に可愛がってもらっていたんだなっと思いました。1人アルバムを見て、涙が出てきて1人こっそりと泣きました。アルバムを見ると、なんというかもう祖母にあえない、そのことがどんどん迫ってくるような感覚がしました。

死んでから、いくら祖母の事を思っても祖母は生き返ってきませんが、思春期の時とかきつく当たってしまったこととか後悔しています。

もう少し大事にできなかったのだろうかと。ごめんなさいとおもいます。やはり親とかには、生きているうちに親孝行していきたいと思います。

63歳男性 思い出を引きずらない遺品整理を

私は30以上勤めていた会社を昨年引退した、還暦を超えた男性です。仕事、仕事の生活で自分の人生を楽しむということをどこかに置き去りにしてしまった私はいまだに独り身です。一昨年までは母と同居していましたが、去年骨折が原因で入院。退院後もそのまま母は介護施設に転院したままになり、以後病院と施設を行ったり来たりという生活が一年続き、とうとう昨年に衰弱して亡くなりました。喜寿でした。

我が家は4人家族でした。築40年となる今のマンションには新築当初から住んでいます。30年ほど前に兄弟は結婚して家を離れて家庭を持ちました。父は持病のため既に亡くなっています。その後の30年は母と二人だけの暮らしです。仕事が忙しく家は寝るだけと私でしたので、家のことはすべて母が仕切っていました。

母の死によって今は完全な一人暮らしです。4人の家族が生活するために揃えられた家具は狭い部屋を圧迫していました。また天井や壁は黄ばみや湿気によるシミやそして所々にひび割れがありました。カーペットの汚れもひどく張り替えが必要でした。そこで思い切ってリフォームをすることにしました。

不用品を整理するところ始めました。もう使わない母の6畳の洋間からです。家具類の処分は業者にお願いします。事前に母の遺品整理を兄弟と連日行いました。

タンスには既に着なくなっていた着物や帯がきちんと整理されて収納されていました。引き出しの中にはバッグや古い宝飾品や時計が仕舞われていましたが、私はどれも見たことがありませんでした。位置どこでこんな高価なものをと思うものも出てきて驚きました。今までケチだと思っていた母がとは思えなかったのです。生真面目で倹約家の父の手前でしょう。父が亡くなった直後から旅行に行ったり習い事をしたりしていました。娘時代の母は結構活発であったようで、結婚後家族のために自制していたのだと初めて悟りました。

本が数冊出てきました。老化と認知症がテーマの本でした。

また私が幼少の頃の五月人形が大切に保管されていました。少しですが母と対話ができた思いです。

リフォームをきっかけにすべての家具や生活用品を処分し新調しました。自分の20年間の日記までも。整理を進めるうちに家族の思い出や母の影を引きずりたくないという思いが強くなってしまったのです。そのことに心残りはありませんが、綺麗になったこの部屋で母に暮らしてもらえたらと少し残念に思っています。

40歳男、遺品整理はまた悲しくなるだけ!

私は今、現在40代前半の会社員です。去年、私は母親を亡くしてしまい、そして葬儀のあと遺品整理をしました。母親は父親と違い、事前に何でも整理整頓する人でした。ですので、自分が病気になったときから自ら何かあった時のためにと自分の私物を整理していました。勿論、子供である私にはそれは気づいてはいました。

そして、母親が病気により亡くなってしまい残った家族で遺品整理を始めたのです。父親は健在なのですが、母親と違って父親はあまり整理整頓などはしない人なのでたくさん物が実家には散らばっています。

その為、時折私は実家に帰るのですが。その時にいつも母親に変わって掃除したりまたは整理整頓などをしています。母親が亡くなった時はまだ信じられず遺品整理などは全く頭になく考えてもいませんでした。

しかし、現実に亡くなってしまったことに徐々に感じて来たときには本当に辛くなりました。また、その遺品整理を進めるにつれ逆に悲しくなったのを覚えています。全てに母親との思い出や健在だった頃の面影がかいまみえるからです。

そして、更には遺品整理をしていると思えば思うほど現実を受け止めて行かなくてはいけないとも思えたからです。何故ならば、どうしてもそのときにはまだ母親が死んだと言うことを考えたくなかったからなのです。

そして、遺品整理の中でも、まだ使えそうなものばかりで改めて母親の死が早すぎたと思えました。勿論、母親自身もまさかそんなに早くに亡くなるとは思っていなかったと思います。現に入院している時から母親は元気にもうすぐ帰るとまで言っていましたので。

しかし、夢叶わず亡くなってしまいました。そして、遺品整理も終わり、私は母親が日頃から使っていた数珠があるのですが、それをひとつ形見にもらったのでした。

また、私には弟がひとりいるのですが、その弟と私とで母親の遺品整理をし、そして更には遺品をいくつか頂きました、遺品整理など本当にしたくはないものだと改めて感じました。

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